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» 2010年05月06日 00時00分 公開

情報システム用語事典:欲求階層説(よっきゅうかいそうせつ)

need hierarchy theory / Maslow's hierarchy of needs / 欲求段階説

[@IT情報マネジメント編集部,@IT]

 人間が持つ欲求には5段階の構造があり、基本的に低次の欲求が充足されることによって高次の欲求が発現すると考える心理モデルのこと。米国の心理学者 アブラハム・H・マズロー(Abraham Harold Maslow)が1943年の論文「A Theory of Human Motivation」で唱えた。

 米国の経営学者 ダグラス・マグレガー(Douglas Murray McGregor)がX理論Y理論の論拠としてマズロー説を引用したことから、労働者のモチベーションを高めるマネジメント理論として注目を集めた。

 マズローが主張した欲求の序列は、低次から順に

  1. 生理的欲求(例:呼吸、食物、睡眠、休憩、性、排泄)
  2. 安全の欲求(例:家、蓄え、保障制度)
  3. 所属と愛の欲求(例:家族、団体、コミュニティ)
  4. 承認の欲求(例:自信・自尊心・尊厳、受容・地位・評判・名声)
  5. 自己実現の欲求(例:ありのまま、自律、創造性、至高体験)

※ 『Toward a Psychology of Being』(1956年)では、自己実現の下位に位置すると思われる「成長欲求」のリスト(真善美、全体性、完全性、正義、自己充実など)が追加されている。

の5つである。

 このモデルでは低次のものほど強い欲求であり、それを充足する行動が優先されるとする。従って、低次な欲求が満たされるまでは相対的に高次な欲求は抑制される。逆にいえば、最も低次な生理的欲求が満たされると次いで安全欲求が現れ、それが達成されると所属欲求に移行する――というように人間の欲求はこの階層を順次登っていくことになる。低次欲求は個人的にも社会的にも優先されるので、高次欲求よりも相対的に充足度が高い状態になっている場合が多いと考えられる。

 しかしながらこうした欲求の段階性は基本形であって、マズローは低次の欲求が満たされなくても高次の欲求が強く出現する場合があることを指摘している。また、マズローはこれらの欲求はすべて完全に満たされることはないとも述べている。

 マズロー心理学は充実した人生や心理的健康を主題としており、5つの欲求の中では「自己実現」が特別な地位にある。これは完全に成熟した人(欠点のない人ではない)に共通の特徴であり、資質や才能の完全な発揮とされる。自己実現の欲求は、存在欲求(bei?-needs=B欲求)とも呼ばれ、人間存在や人間価値との関連で論じられるのに対して、ほかの4つの欲求は欠乏欲求(deficiency-needs=D欲求)に分類され、ホメオスタシス(自己恒常性)や不安・不満といった概念を用いた説明となる。

 マズローが研究対象とした「自己実現した人間」は社会においては例外的存在で、全人口の1%そこそこに過ぎないという。これら人々は成長中・努力中ではなく、すでに自己実現を達成した“状態”にあり、おおむね60歳以上であるとされている。具体的な研究対象のリストには、アブラハム・リンカーン、トーマス・ジェファーソン、アルバート・アインシュタイン、アルベルト・シュヴァイツァーなどの名がある。

 この欲求階層モデルを産業界に持ち込んだのが、マサチューセッツ工科大学(MIT)の教授だったマグレガーである。1950〜1960年代の米国では中間管理職や知識労働者が増えつつあったが、マクレガーはこれらの労働者は低次欲求をすでに満たしており、そのやる気を引き出すには高次欲求の充足に注目するY理論に基づく管理方法が必要だと主張した。こうしてマズローモデルは、労働意欲に関する動機付け−行動モデルに読み替えられた。

 マクレガーの理論では比較的低次な2つの欲求(生理的欲求・安全欲求)と、相対的に高次な3つの欲求(所属・承認・自己実現)との差異が重視され、ここがX理論とY理論の分水嶺となっていると考えられる。相対的に高次な欲求が誘引する行動は自律的労働や自己学習、個人の成長と解釈され、やがて経営組織論で組織開発や人的資源論が展開されることになる。

 モチベーションモデルとして経営学に取り入れられた欲求階層説はピラミッド型の図形を使って説明されることが多いが、マズローはこの階層が固定的なものではなく、欲求同士は明確に線引きできないと明言しており、その著書でもピラミッド表現は用いられていない。

 なお、欲求の段階的階層性については後にいくつもの実証研究が行われたが、多くは否定的な結果に終わっている。マズロー説を拡張し、段階性のない形に修正した欲求モデルとしては、クレイトン・P・アルダファー(Clayton Paul Alderfer)が提出したERG理論(1972年)がある。

参考文献

▼「A Theory of Human Motivation」 A. H. Maslow=著/Psychological Review 50(4), 1943A Theory of Human Motivation」 A. H. Maslow=著/Psychological Review 50(4), 1943

▼『人間性の心理学――モチベーションとパーソナリティ〈改訂新版〉』 A・H・マズロー=著/小口忠彦=訳/産業能率短期大学出版部/1987年3月(『Motivation and personality』の邦訳)

▼『完全なる人間――魂のめざすもの』 アブラハム・H・マスロー=著/上田吉一=訳/誠信書房/1998年9月(『Toward a Psychology of Being』の邦訳)

▼『完全なる経営』 アブラハム・マズロー=著/金井寿宏=監訳/大川修二=訳/日本経済新聞社/2001年11月(『Maslow on Management』の邦訳)

▼『マズローの心理学』 フランク・ゴーブル=著/小口忠彦=監訳/産業能率短期大学出版部/1972年9月(『Third Force: Psychology of Abraham Maslow』の邦訳)

▼『真実の人間――アブラハム・マスローの生涯』 エドワード・ホフマン=著/上田吉一=訳/誠信書房/1995年6月(『The Right to Be Human: A Biography of Abraham Maslow』の邦訳)

▼『企業の人間的側面』 ダグラス・マクレガー=著/高橋達男、黒田哲也、浜崎隼彦、横田光三、小松崎清介=訳/産業能率大学短期大学/1966年6月(『The Human Side of Enterprise』の邦訳)

▼『Existence, Relatedness, and Growth; Human Needs in Organizational Settings』 Clayton P. Alderfer=著/Free Press, 1972

▼「Maslow Reconsidered: A Review of Research on the Need Hierarchy Theory」 Mahmoud A. Wahba and Lawrence G. Bridwell=著/Organizational Behavior and Human Performance, Vol.15, 1976


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