「コカレストラン」が日本で成功した理由――マルハレストランシステムズ・小島由夫氏(中編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/3 ページ)

» 2008年01月25日 19時05分 公開
[嶋田淑之Business Media 誠]

マルハを退職してベンチャー企業経営者に転身

 「タイの『シーフードマーケット』が良かったのですが、それを日本に持ってくると人件費がかかり過ぎる。人件費がかからない方向でやろうと考えて、鍋がいいとひらめいたんです。

 タイスキとは、テーブルにセットした鍋にスープを張り、そこで具を煮込み甘辛い独特のタレに付けて食べる料理だ。「スキ」といっても、すき焼きよりは寄せ鍋に近い。「タイスキは(調理に)あまり油を使わない。ちょっと甘くて酸っぱい味がおいしい。辛ささえクリアできれば、これは日本でいけると思いました。当時、ちょうど日本で健康志向が高まっていたので、その流れにもフィットすると考えました」。

 こうして小島社長は、老舗レストラン「コカレストラン」へのアプローチを開始した。まずはアポなしでいきなりコカレストランを訪れたところ、「ほかの会社も来ているからダメ」と門前払い。それでも毎日懲りずに飛び込み営業を1週間続けたところ、ついにコカレストランの社長に会えたという。「意地でも社長に会ってやろうと思っていました」

日本のコカレストランで提供しているタイスキ

「本気を見せたいなら、会社を辞めてみろ」

 もともとタイにはマルハの工場があったこともあり、国内的にはマルハに対する信頼感は厚かったようだ。しかし、海外老舗レストランとのアライアンスは、そうした企業対企業のビジネスライクな折衝の中では成立しにくい、と小島氏は指摘する。

 「日本の大企業の社員は、たいてい代理店などを通して現地のレストランにアプローチするんですが、私は単身乗り込んでいった。その点は評価されたと思うんですが、先方が『こっちは命をかけてこの店をやっているんだ。信じてほしいなら本気を見せろ』と言われました。『どうやったら信じてくれるか』と聞いたら、なんと私に『会社を辞めろ』って言うんですよ。会社を辞めて個人対個人で付き合うのなら、信用して日本でレストランをやらせてやる、ということなんです」

 小島氏は、1987年の時点ですでに、目をかけてもらっていた中部慶次郎氏(後にマルハ社長)の誘いで、大東通商からマルハに移っていた。そしてマルハに籍を置き、社内ベンチャーの社長という立場で、レストランビジネスの指揮を執っていたのである。

 結局小島氏は、今後の海外でのビジネス展開をにらみ、マルハを退社することを選択する。そして、コカレストラン誘致のために作った新会社・コカレストランジャパンのオーナーの一角を占めることになった。

 コカレストランジャパンの株主構成は、以下の通りだ。

株所有者 所有比率
マルハレストランシステムズ 45%
COCA HOLDING INTERNATIONAL CO.LTD 45%
小島由夫氏(個人所有) 10%

 マルハ退社、そして新会社の設立と社長就任。小島氏のビジネス人生における新たな、そして大きな一歩であった。

「コカレストラン」成功の要因は?

 こうして大企業マルハ社員からベンチャー企業社長へと転身した小島氏。どうやってコカレストランを日本で成功させたのだろうか?

「タイ側との付き合い方という点で言うと、家族ぐるみの付き合いをしました。顔をあわせる機会を、意図的にたくさん作っていくんです。先方のご家族の誕生日があるといえば誕生日パーティに行くとか、日本に招待してスキーに連れていくとかですね。とにかく海外のレストランオーナーは『会社と契約しているのではなく、小島本人と付きあっているんだ』という考え方なんですよ。要は、心と心のつながりを基本にしているわけですね。ですから私の方も、それに即した付き合い方をしてきました」

 海外で、ビジネスの相手とこうした付き合いができる日本のビジネスマンというのは今なお非常に少ないのが現状だが、小島氏には、なぜそれができるのだろうか。

 「それは、すべてをオープンにすることです。良いことばかり言うのではなく、問題点をさらけ出し、責任の範囲も明確にすることです。そして何より大切なのは、自分自身が楽しみながらやることです。ルーティンワークとしての姿勢や、やれと命じられて取り組む気持ちでは決してうまくは行きません。こうした私自身の幸福感というのは、実は国内のビジネスにも極めて重要で、それが顧客や従業員に伝わることが、結果的にビジネスに好影響を及ぼすんです」

海外の老舗レストランを誘致するのに必要なのは、個人と個人の信頼

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