「人のために生きる」が夢だと気付いた瞬間――知られざるMRの世界(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(1/3 ページ)

» 2008年03月22日 09時01分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

嶋田淑之の「この人に逢いたい!」とは?:

「こんなことをやりたい!」――夢を実現するために、会社という組織の中で目標に向かって邁進する人がいる。会社の中にいるから、1人ではできないことが可能になることもあるが、しかし組織の中だからこそ難しい面もある。

本連載では、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏が、仕事を通して夢を実現するビジネスパーソンをインタビュー。どのようなコンセプトで、どうやって夢を形にしたのか。また個人の働きが、組織のなかでどう生かされたのかについて、徹底的なインタビューを通して浮き彫りにしていく。


 全国に約5万5000人いる、製薬企業に勤めるMR(Medical Representatives、医療情報担当者)。かつてMRは「プロパー」と呼ばれており、薬を採用してもらうために、医者へ猛烈な営業攻勢をかけなくてはならない仕事だった。医師の個人的な用事まで引き受けて召使いのように仕えたり、毎夜のように接待を繰り返すのは当たり前。過剰な接待のせいで体を壊したり、痩せていた人が極端に太って、別人のようになる例も珍しくないと聞く。

 1997年にMR認定制度がスタート、医療機関への訪問規制が実施され、MRは病院で患者がいる所へは立ち入ることができなくなった。制度が変わり、医師との“濃密な人間関係”を要求されなくなった代わりに、今のMRは患者の回復に役立っているという実感ができなくなったと近澤氏は指摘する。

 →私たち「男芸者」って呼ばれてました!――知られざるMRの世界(前編)

 MRの仕事の本質とは、存在意義とは何なのだろうか? ここに一篇のエッセイがある。かいつまんでご紹介したい。

奇跡が起きた――あるMRと医師の体験

 「会社へ1本の電話が入った。相手は、K大学病院小児科のA先生であった。用件は『電撃性紫斑病疑いの患者がおり、治療薬Bを使うかもしれない』という内容であった。…(中略)…その足でA先生を訪問した。

 事態は相当深刻であった。患者は一歳の女の子。…(中略)…四肢が壊死する電撃性紫斑病を引き起こしていた。…(中略)…どんな治療を施しても全く改善の兆しが見られず、こうしている間にも壊死は進行している。一刻を争う事態であった。…(中略)…不幸中の幸いに、隣県の弊所配送センターに治療薬Bはあった。

 『分かりました。私は今からすぐに薬を取りに行きます』…(中略)…私は薬とともに学術担当者を引き連れて再び病院へと向かった。入念に、投薬前の確認、情報提供を行うと、速やかにBが投与された。

 奇跡が起こった。数日後、見事に四肢の壊死が消失した。命をつなぎ止めることさえ困難、仮に助かっても四肢の切断は免れないと覚悟を決めていたA先生が、目に涙を浮かべ『こんなに感激したことは、医者になってからも数える程もない』と喜んだ。それを聞いた私も涙が溢れた。『MR=人の命に関わる仕事』、これを心の底から実感した。ちょうど私にも2歳と4歳の子供がいた。患者の親御さんの気持ちも痛い程分かる。そういった感情も相まって、この時のことを思い出すと今でも涙がこぼれる。かけがえのない体験であった」

直接見えなくても、医師の向こうには患者さんがいる

 これは、あるMRの体験談であり、財団法人医薬情報担当者(MR)教育センター創立10周年記念論文コンクールで「特選」を受賞した作品の一部である。

 前回、会社から命令される営業ノルマに圧倒され、いつしか「患者のために」という視点をどこかに置き忘れ、やり甲斐を失い、無気力に漂流しているMRが多いという話をした。

 その背景には、MRに対する医療機関への訪問規制実施によって、MRが患者の姿を直に見ることが出来なくなり、超多忙な医師から断片的に現場の話を聴くことしか出来なくなっている現実がある、ということを明らかにした。

 しかし、たとえそうした困難な環境にあっても、上記体験談のMR氏のように、「医師の向こうにいる」患者さんの立場を第一に考え、医師と連携して、全力で人助けしている人々もいる。

患者さんのためにMRができることとは?

 今回の主役である近澤洋平氏(上記MR教育センター・総務部次長)が目指しているのも、まさにこうした、使命感にあふれ、「患者を第一に考える」MRの養成なのである。

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