何がしたい? 誰に愛されたい? 何も見えてこないマックカフェ小西賢明の「お客様を想え。」(1/4 ページ)

» 2008年05月08日 07時54分 公開
[小西賢明,GLOBIS.JP]

小西賢明の「お客様を想え。」とは?

グロービス・マネジメント・スクールで教鞭を執る、小西賢明氏による新連載。マーケティング分野・新規事業分野を中心にプロジェクト支援や企業アドバイザーなどを務めてきた知見を生かし、巷の気になる商品・サービスのマーケティング戦略について、独自の視点で分析する。

※本記事は、GLOBIS.JPにおいて、2008年2月26日に掲載されたものです。小西氏の最新の記事はGLOBIS.JPで読むことができます。

その後、日本マクドナルドは4月に「マックカフェ」の3分の1を閉鎖すると発表した。15店ある店舗のうち5店を、5月下旬から順次閉めていく。


えびフィレオ、マックグリドル、メガマック…。ヒットが続くマクドナルド

 今から遡ること約1年の2007年1月15日。朝マックメニューに「マックグリドル」が追加された。「説明できない朝ごはん」というキャッチフレーズを冠した不思議な雰囲気のセールスプロモーションで、そのスタートは切られた。

 米国、カナダ、中国では既にヒット実績があるというこの商品、実際に口にしたのは発売日を少し過ぎてからなのだが、食べてみて驚いた。メープルシロップ入りのパンケーキで、グリルソーセージや卵をサンドした、確かに今までに食べたことがない甘塩っぱい味の組み合わせ。メタボも気になる今日このごろ、1個 554kcalという「マックグリドル ソーセージ&エッグ・チーズ」のカロリー表示には少々躊躇をさせられるが、それでもそれを忘れさせつい食べ進んでしまうのがファストフードの魔力? 魅力? か。僕自身、そんなマクドナルドファンの1人である。

 2004年、代表取締役会長兼社長兼最高経営責任者(CEO)に原田泳幸氏が就任して以降、日本マクドナルドホールディングス(以下、マクドナルド)は常に的確に強い事業作りに挑戦し続けている。その姿勢は素晴らしいと、尊敬の念をこめて思う。

 就任した2004年の12月には、商品を作り置きしないオーダーメイド調理システム「メイド フォー ユー(MFY)」を完全導入し、廃棄を減らすと同時に、顧客に出来たての商品を提供できる基盤を構築。

 2005年10月には「えびフィレオ」(当時270円)を導入し、これが大あたり。2000年代に入ってから、長く低価格路線から抜け出せなかったマクドナルドは、このえびフィレオの成功を皮切りに「売れる付加価値商品」に次々とチャレンジしはじめる。

 記憶に新しい2007年は、マクドナルドの高額商品が次々と話題に。マックグリドルと同じ1月には、あの「メガマック」(350円)を発売。同社の単品最高価格というこのメガマック、売上高への影響は相当なもので、発売開始2日後の1月14日(日)には1日あたりの全店売上高23億4700万円と、新記録を打ち立てた。予想を上回る反響のため一時期、販売制限までされたほどである。その後6月には「メガてりやき」(330円)、12月には「メガトマト」(370〜400円)と「メガたまご」(360〜390円)を同時発売。話題を欠かさない。

 原田氏就任以降の一連の取組みが市場に支持された影響は大きく、2006年には5年ぶりに年間全店売上高を更新し、4415億1600万円を達成。2007年8月には月あたり売上としては過去最高の463億円を計上。2007年通期でも、売上高で前年比1割アップ、純利益で前年比約5倍と予想している(2007年12月現在)。いずれにしても、近年のマクドナルドの活躍ぶりには目を見張る。顧客を的確に捉えた発想と、企業戦略の合致。それがこの結果を生んでいると言える。

 米国でマクドナルドブランドを育て上げたのはレイ・クロック氏。そして日本マクドナルドの創業者は、藤田田氏。ハンドバッグやダイヤモンドの輸入商をしていた藤田氏だが、レイ・クロック氏と出会い、1965年に起業した。昭和40年代当時、日本の飲食業は個人の生業が大半で、ビジネスのシステム化にはまだ程遠かった時代である。そんな中で藤田氏は、戦略意識を持ってビジネスモデルを構築しながらも、同時に「ビジネスマンならば庶民に会え。庶民の視点で考えろ」と言い続け、顧客視点を喪失することなくマクドナルドのあるべき姿を考え続けたという。

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