涙の会見後、何が起きたのか――白骨温泉・若女将が語る「事件の真相」(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(1/6 ページ)

» 2008年05月09日 20時45分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

嶋田淑之の「この人に逢いたい!」とは?:

「こんなことをやりたい!」――夢を実現するために、会社という組織の中で目標に向かって邁進する人がいる。会社の中にいるから、1人ではできないことが可能になることもあるが、しかし組織の中だからこそ難しい面もある。

本連載では、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏が、仕事を通して夢を実現するビジネスパーソンをインタビュー。どのようなコンセプトで、どうやって夢を形にしたのか。また個人の働きが、組織のなかでどう生かされたのかについて、徹底的なインタビューを通して浮き彫りにしていく。


 温泉偽装発覚から4年。多くの温泉地がブームに乗って人気を博しているのに、北アルプスの秘湯・白骨温泉だけは入浴剤投入のレッテルを貼られたまま、マスメディアから事実上姿を消している。その真相を明らかにするために、筆者はかつてたびたび投宿した同温泉の白船グランドホテルを訪ね、若女将の齋藤ゆづるさんに話を伺うことにした。

 ゆづるさんは、田中康夫長野県知事(当時)による同ホテルへの踏み込み劇と、直後の若女将・涙の記者会見を通じて、同温泉の偽装の象徴的存在になった人物である。記事前編では入浴剤投入までの経緯を、中編では、事件発覚後、田中知事の踏み込み劇や涙の記者会見に至った事情を取材した。最終回となるこの(後編)では涙の記者会見以降、白骨温泉ではいったい何が起きたのか、そして今、どうなっているのかを聞く。

 →“入浴剤投入”発覚から4年――白骨温泉・若女将が語る「事件の真相」(前編)

 →田中康夫県知事が踏み込んだ、その時――白骨温泉・若女将が語る「事件の真相」(中編)

 →涙の会見後、何が起きたのか――白骨温泉・若女将が語る「事件の真相」(後編・本記事)

 →“本物”の温泉とは?――ポスト秘湯ブームの今、満足できる温泉に出会う法(番外編)

殺到する抗議、返金要求、そして恐喝

齋藤ゆづるさん

 「あの記者会見の直後から、白船グランドホテルの4本の電話が一斉に鳴り始めたんですよ」

 時は2004年7月末・盛夏。上高地観光を兼ねて来る宿泊客も多い、1年を通じて最大の繁忙期だ。ただでさえ多忙であるのに、それに加えて事件の事後処理に膨大な時間と労力を割かなければいけなくなったのだ。

 「一番多かったのが、以前宿泊されたお客様からの問い合わせや抗議のほか、『お金を返してほしい』という要望でしたね。あと、『街宣車を送るぞ。それが嫌なら金を出せ!』と右翼団体らしきところからの恐喝もありました」

 過去の宿泊客からの返金要求には応じたのだろうか?

 「いいえ、白骨温泉旅館組合の申し合わせとして、それはしないことになっていました。でも、事件で気分を害され抗議されるお客様のところには、私が足を運んでおわび申し上げたりしました」

 宿泊のキャンセルも激増したのでは?

 「もう夏休みに入っていて、今からでは予定の変更が難しかったということでしょうか、夏の間は意外とキャンセルはなく、例年の夏と同じくらいのお客様がいらっしゃいました」

 接客を担当する仲居さんたちは、苦労したのでは?

 「そうだと思います。宿泊するお客様たちと直に接し、事件についていろいろと言われたり、聞かれたりするのは彼女たちですから」

 そのストレスに耐え切れずに退職した仲居さんやスタッフも多かったのでは?

 「いいえ、ベテランの仲居が現場をうまくとりなしてくれましてね。そのお陰で事件後は、彼女たちとのコミュニケーションが深まり、団結は強くなったと感じています。ただしフロント業務担当の若いスタッフだけは、あらゆる電話を最初に取る立場なので、毎日、朝から晩までキツイことを言われ続けてこたえたのでしょうね、退職していきました」

 偽装ということで、法的責任を問われることはあったのだろうか?

 「あの時、当館としては初めて顧問弁護士をつけて一切をお任せしましたが、結局、訴訟沙汰はありませんでした」

 入浴剤による着色行為自体は、当時の温泉法に抵触するものではなかった。そのため法的責任ではなく、むしろ倫理的責任を問われたと見るのが適切だろう。

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