米国と日本、会議に対する意識の違いは――コンファレンスコーディネーター・田中慎吾氏(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/3 ページ)

» 2008年05月31日 13時32分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

 「AT&Tも素晴らしいと思います。AT&Tでは、自社のコンファレンスセンターをギャラリーにして、芸術作品を多数展示しています。また、オペレーションを外部の専門家に委託して、会議室の『外売り』をしています。自社関係者も外部の人間も利用価格は同一で、かつ、その価格帯は、市場価格に見合ったものです。

 日本の自社研修所の場合だと、何かと社内利用が優先で、社内の人間だと3割引き、といったケースが普通です。AT&Tのコンファレンスセンターの場合は、そうしたことはまったくなく、言われるまでAT&Tの施設だとは気がつかないほどです。しかも専門家によるプロフェッショナルなサービスを提供していますから、一般利用者は『さすが、AT&Tはやることが違う!』という評価を下すことになります。

 同じことが社員についても言えます。私がAT&Tの社員に聞いたところ、『よくなかったら上司が何と言おうが、ヒルトンホテルなど、よその施設を使っただろう。でも、ここは素晴らしいんだよ!』と言っていました。こうした施設を通じて、社員もそこはかとなく、AT&Tのフィロソフィーを感じ取っている、そういうコンファレンスセンターなんです。当然のことながら、稼働率は非常に高いです。85%と聞きました」

丸テーブルで会議をする理由、しない理由

 米国の代表的な企業では、有能なミーティングプロフェッショナル(ミーティングプランナー)が在籍して、自社の会議・研修の実施環境の選定を行うとともに、自社でコンファレンスセンターを保有していることは分かった。

 米国企業が、コンファレンスの位置づけをそれだけ高くしている要因は何だろうか?

「要するに、『知の創造』には、それにふさわしい『環境』が必要だということなんですよ」。

 日本人との考え方の違いで、典型的な点は?

 「たとえば、米国人は丸テーブルをよく使うのに対し、日本では決して使いません。ある電力会社の方にその理由をたずねたところ、『テーブルが丸いと、どこに座ったらいいか分からなくなってしまう。役員会でも座る位置は厳格に決められていて、ずれることは出来ません』と言うんですね。

 米国では、本来、そこには選ばれた人々が集まっているのだから、話したい人がどこからでも話せばいいと考え、そこに上下関係を持ち込もうとはしません。『議論』のためのテーブルだと考えているので、場所や席順など関係ないのです。ホワイトハウスも同様で楕円形です。

 また、米国では、肉体と頭のバランスが必要という考えから、コンファレンスセンターには必ずヘルスクラブがあります。そして、プログラムの中に、必ずクールオフする時間帯を作っておいて、その間、泳いだり、散歩したり、好きなことを自由にできるようにしているんです。日本のように、無理やり全員にソフトボールやバレーボールをやらせてストレスを増幅させるなんてことは、米国ではあり得ません」

「知の創造」には、それにふさわしい環境が必要

 田中氏がもう1つ、重要なものとして挙げるのが、ロビー周りとキオスク(コーヒーブレイクエリア)だ。キオスクについては、前編でも詳述した(参照記事)が、田中氏は、こう語る。

 「コンファレンス中は、ロビーやキオスクで立ち話をします。ここでの意見交換が貴重だと彼らは言うんですね。ミーティングルームで発する意見だけが重要だとは限らない。こういうほっとした瞬間に、意外と良い意見が出たりする、ということです。だからこそ、良いサービスをしなければいけない。

 コーヒーは何種類もあるし、他の飲み物も豊富にある。マフィンとかフルーツなどの食べ物も数多くある。こういう風にコーヒーブレイクには非常に力を入れているのです。ここに来ると豊かな気持ちになれます。日本と違い、何も3時になると、画一的にコーヒーをガチャガチャ持ってきてそれで終わり、ではないのです。午後になると、アイスクリームバーなどもあるんですよ」

田中氏が手がけた、キオスクやロビーのディスプレイの例

 グローバル企業における会議・研修の場合、その出席者同士が、面識がないようなケースも多いと考えられる。そういったケースでコミュニケーションを促進するための装置は何かあるのだろうか?

 「これから会議や研修に臨む人々をリラックスさせることを目的とする“ハットルーム”が、米国では有名です。これは、部屋に無数の帽子が置いてあり、初めてきたお客さんが、どれでもいいからかぶるんですね。こうした帽子をかぶることで人格が変わり、様々な言葉が出てくるようになるんです。『お前の帽子は××だ。俺のは○○だな』という風に。コミュニケーション促進のための演出を施設側が考えているのです。

 こういうことを果たして日本の多くの企業の担当者は考えるでしょうか? 日本の場合は、人事部が研修担当だったりしますから、どうしても『地獄の特訓』スタイルになりがちなんですね」

日本での啓蒙活動――孤軍奮闘で年商1億円までに成長

 1980年代、GEのドリス女史のもとでコンファレンスについて学んだ田中氏は、帰国すると、国際コンファレンスセンター協会の日本代表理事、日本コンファレンスセンター協会の専務理事として、コンファレンスビジネスを日本で啓蒙・普及する活動に取り組んだ。

 「でも、当時の日本の産業界には時期尚早でしたね。本場の米国でも、最初はミーティングプランナーと言うと『何だ肉屋か?』と聞かれたそうですが、この頃の日本はまさにそういうレベルでした」と笑う。

 それでも田中氏は、桜の名所・千鳥が淵(東京都千代田区)の「フェアモントホテル」を拠点にして、1996年にコンファレンスビジネスを開始。たった一人で年商1億円を叩き出すまでになった。

 続く2001年からは、上野不忍池(東京都台東区)の畔に出来た世界的ホテルチェーン「アコーグループ」の5つ星ホテル「ホテルソフィテル東京」を舞台に事業を展開。相変わらずの孤軍奮闘ながら、ここでも年商1億円を連年稼ぎ出していた。

ソフィテル東京のコンファレンスルーム。余談だが、同ホテルは2007年末に閉鎖、解体された。菊竹清訓氏の設計で、もみの木のような奇抜なデザインが開業当時から話題になっていた

 「フェアモント、ソフィテル東京の頃は、どちらかと言えば、外資系企業の顧客が多かったでしょうか。日本の顧客は、リクルートなど一部の企業に限られましたね」

 しかし、日本のコンファレンスビジネスをめぐるこうした状況は、2006年ごろから急速に変化してゆく。

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