米国と日本、会議に対する意識の違いは――コンファレンスコーディネーター・田中慎吾氏(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(3/3 ページ)

» 2008年05月31日 13時32分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]
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日本の産業界にもようやく「コンファレンスビジネス」発展の機運

 まず、2006年、田中氏の率いる日本コンファレンスセンター協会では、「コンファレンスコーディネーター」の資格認定試験を開始した。コンファレンス後進国だった日本で受験したのは、どのような人々だったのだろうか?

 「個人の場合と法人の場合があります。まず個人レベルでは、現在のホテルや企業に一生いたくはない、という人が増えています。それで、どこに行っても専門家として食べてゆける仕事ということで受験する人が多いようですね。米国でもそうなのですが、有能で意欲的な女性が多いです。法人の場合は、大手旅行会社が新規事業として、コンファレンス部門を創設・強化しようとういう動きが顕著でしたね」

 2001年の「9.11同時多発テロ」、2002〜03年の「SARS騒動」、2003年「イラク戦争勃発」、2004年「スマトラ島沖地震(インド洋大津波)」などの国際環境の混乱や、国内的には長期不況と格差社会の拡大などを背景に、日本の旅行業界の経営環境は悪化を続けていた。その中で起死回生の策として白羽の矢が立ったのが、非旅行部門、とりわけ将来有望なコンファレンス部門への進出だったのである。

 コンファレンスコーディネーターとしての資格取得者も増えた。「初年度の2006年は5人でしたが、2007年は50人以上に増えました」(田中氏)

 コンファレンスコーディネーター資格の受験者と比例するように、プロのコーディネートを受け、効果的な会議・研修を実施しようというユーザー企業も急速に増加していった。田中氏自身も、2007年からは拠点をプリンスホテルグループに移し、依頼案件の内容に応じて、都内の各プリンスはもとより、鎌倉、軽井沢を初め、各所のプリンスホテルに振り分けることができるようになった。

コンファレンスビジネスの主要顧客は、世界市場の“勝ち組”企業

 それにしても、ユーザー企業の数が急速に増え始めた背景は、どこにあるのだろうか?

 「1990年代の不況を通じて、多くの経営者たちも悟ったんですよ。最後は『人』だと。最近の企業は、新人研修と、30〜40代の次世代経営者の育成に力を入れているところが増えています。グローバル企業の“勝ち組”が多いのが特徴ですが、それらの企業の中には、グローバル人材育成を目的とした自社コンファレンスセンターを、新たに作るところまで現われています。武田薬品、日産自動車、キヤノン、トヨタなどがそうです。特に日産の場合は、箱根の仙石原プリンスホテルを買い取って、米国型のコンファレンスセンターにしていますよ(参照リンク)

 自社研修所の歴史を振り返ると、田中氏によれば、次のようになる。

世代(年代) 特徴
第1世代(1950〜70年代) 国内重厚長大産業を中心とした「合宿施設タイプ」
第2世代(1980年代「バブル経済期」) 外資系を中心とした「バブリータイプ」
第3世代(1990年代) 国内金融系を中心とした、第2世代に準じるタイプ
第4世代(2000年代) ホスピタリティの専門家にオペレーションを委託する「次世代リーダー育成タイプ」

 日産自動車などの自社コンファレンスセンターは、この第4世代に当たる。

プリンスホテルのコンファレンスに初参加した企業の“ビフォーアフター”

 「プロが手がけたコンファレンスでは成果が出る」といっても、自社会議室などでやるのに比べたら、当然費用はかかる。田中氏がコーディネートしたコンファレンスに初めて参加した企業がどう変わったのか、その反響を紹介しよう。

 ある繊維メーカーは、それまで地方都市にある自社研修所(古い合宿所タイプ)を使って各種研修を行ってきた。社員1人当たりにかける予算は5000円だった。例年通り、秘書室研修を研修所でやろうという話になりかけたのだが、田中氏は軽井沢プリンスホテルでの研修開催を提案した。

 軽井沢プリンスを使う場合、1人あたりの予算は、一挙に3万円に上がる。当然、同社の研修担当者は、渋い顔だったが、まあまずは1回やってみようということになった。

 秘書室となれば、参加者は20代の女性社員が大部分だ。ちょうど12月ということもあり、田中氏は、季節感ある演出を試みた。例えばキオスクは、クリスマスツリーに飾り付けるようなスタイルでスイーツや飲み物をディスプレイする、といったこまやかな心配りだ。

 軽井沢での秘書室研修は、研修担当者も驚くほど参加者から好評だった。それは帰京後の日常業務にも直ちに反映され、この研修は同社秘書室の組織能力向上に大いに貢献したという。半信半疑だった同社の研修担当は一転、リピーターとなった。

 田中氏は言う。「結局、古いタイプの自社研修所では、日常業務の延長になってしまい、参加者たちは、オンからオフへの切り替えができません。その点、軽井沢なら参加者はワクワクしながら研修に臨めるんですね。当然、頭の中はオフに切り替わっています。『あんな素晴らしい環境で研修を受講できた』という喜びと、『またあそこに行きたい』という思いは、その後の業務に対する姿勢を、根本的に変えるだけの力を持っているんですよ」と。

 また別の企業は、鎌倉プリンスホテルで会議を実施したという。鎌倉プリンスといえば、渡辺淳一氏の大ヒット小説「失楽園」の実写版のロケ地としても有名なリゾート系ホテルである。

鎌倉プリンスホテル

 「会議終了後に彼らが言った言葉が印象的でした。『会議の環境と比べて、我々の議題がプアーだったね』って。良いハード&ソフトがあると、それはおのずから、会議研修の内容を良くしようとする作用があるんです」

 日本のコンファレンスビジネスの市場規模は、1兆円弱とも言われている。しかし現在、専門の「ミーティングプランナー」や「コンファレンスコーディネーター」によって実施されているのは、その中のほんの一部に過ぎない。田中氏がプリンスホテルグループで実施しているコンファレンスの年商も初年度で約1億円である。要するに、日本はほとんどの会議・研修が“オールドスタイル”で行われていることになる。

 しかし見方を変えれば、時代の追い風の中、「欧米型のコンファレンスビジネス」が、成長産業として日本で今後も伸び続ける可能性を示唆しているわけで、停滞する業界が多い日本の産業界にとって、これは一筋の光明ともいえる。最後、田中氏の言葉でこの記事を締めよう。

「成果の上がる会議や研修を望むならば、それは正しい施設の選択から始まる」

田中氏が手がけるプリンス・コンファレンスサービス。全国のプリンスホテルを使ったプランのほか、少人数用にグランドプリンスホテル赤坂のスイートルームを4万2000円から利用できるプランなども提供している

 →極上の会議&研修体験、請け負います――コンファレンスコーディネーター・田中慎吾氏(前編)

 →米国と日本、会議に対する意識の違いは――コンファレンスコーディネーター・田中慎吾氏(後編:本記事)

嶋田淑之(しまだ ひでゆき)

1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」「43の図表でわかる戦略経営」「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。


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