“自分づくり”の文庫本ノート郷好文の“うふふ”マーケティング(2/2 ページ)

» 2008年08月21日 13時25分 公開
[郷好文,Business Media 誠]
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文庫本ノートを使い倒してみた

 昨年から愛用してきた手帳(coated design graphics)をお休みさせて、7月31日から8月中旬にかけて使用した。その感想をひとことでいうと「ハマった」。とても使い勝手が良い。

 2週間半で50ページ書いた。字だけでなく絵も描いた。内ポケットから頻繁に出し入れしてカバーがくたびれたので、書店(ジュンク堂)のカバーをかけた。手帳としてコンプリートさせたくて、A6サイズの薄いスケジューラを後ろに挿しこんだ(リュリュ)。これでノートは手帳にもなる。我ながら“!”なアイデアだ。


 仕事上の記録やアイデア、ライター稼業のメモを書き留め、さらにスケジュールまで3役をになわせた。あれこれのごちゃ混ぜである。だが仕事も愛も人生もすべては時系列に過ぎてゆくのだ。いろんなジャンルの出来事を日々受けとめ、考える複合体が人間なのだ。だから分類せずにずんずん書いてゆけばいい。これは私のモットー。

 コクヨではターゲットを「文庫本を普段読んでいてそのサイズの良さを知っている人 」かつ「持ち運んで書き込んだり、読み返したりするノートが必要な人」としている。資格の勉強や講義の勉強など特定テーマでつけるもよし、趣味帳や日記帳でもいいし、ジーンズのポケットに入れてアウトドア・スケッチにもOK。その人次第の使いかたを受け入れてくれるフトコロの深さがある。

手のひらに宿る知的メモリー

 使用していて、どうも普通のノートや手帳と違うなと感じた。何が違うのか自分を観察して分かったのは、私は“パラパラ”していたことだ。

 手帳の書き込みをパラパラとめくること、ありますよね。過去のスケジュールや発想の書き留めをめくる。そのパラパラめくりが文庫本ノートはとてもしやすい。ほかの手帳ではこれほどパラパラしないのに、なぜだろうか。

 開発にあたりコクヨでは、既成サイズ(A系列・B系列)がホントに使い勝手が良いのか根元から問い直し、ノートは“手のひらサイズ”がいいと仮説を立てた。それがA6の文庫本サイズだった。

 それで書棚の文庫本群を眺めた。そこには青春のメモリーがあり、寝不足して読みふけった思い入れがあり、心のささえにするページやパラグラフがあり、絶対に古本屋に売れない運命本がある。昭和2年(1927年)に岩波文庫が発刊、「万人の必読すべき真に古典的価値ある書」を世に送り出してきた。それから80年たち、日本人の誰もが、多かれ少なかれ文庫本の知的価値に触れて、学び、考え、育てられてきた。だから文庫本を手にすると、自然にパラパラする。

 パラパラの素は“文庫本”ゆえなのだ。文庫本というサイズが日本人の手のひらに宿る“知的メモリー”を呼び起こすのである。

文庫本の著者になった気分を味わえる

 さてパラパラしながら書き終えると、文庫本ノートは自分の“著書”になる。コクヨでは筆記性を阻害せず、見た目が文庫本に感じる厚みを求めて試作を繰り返し、70枚/140ページと決めた(既製品にはない枚数)。1日2ページなら70日で1冊執筆できる。

 また書棚を眺めてつぶやく。「使い終わったらここに一緒にしまえるな」と。書棚に並べると文庫本の著者になった気分が味わえそうだ。敬愛する『父の詫び状』のヨコにはとても並べない。厚みが同じような『変身』や『ランボー詩集』のヨコは? とても恐れ多くて。

筆者本棚より

 書棚でひそかに息づく読み終えた文庫本は、“読者としての自分づくり”の記録。文庫本ノートは“著者としての自分づくり”の記録である。インプットとアウトプットの自分づくりを、同じ書棚に並ばせることができるのが文庫本ノートの大きな魅力である。

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