「クラシック音楽に深く接してこなかった方にこそ聴いてほしい」――“魂のピアニスト”浦山純子氏あなたの隣のプロフェッショナル(2/6 ページ)

» 2009年02月06日 11時30分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

東北から単身上京――迷いと気付きの高校時代

 1972年2月、浦山さんは福島県郡山市に生まれ、宮城県仙台市で育つ。水瓶座のA型。国鉄(現・JR東日本)に属し社会人野球で活躍する父親と、バイオリンをたしなむ母親、妹と弟の5人家族だ。

 「近所に音大生のお姉ちゃんがいて、いつも遊びに行ってはピアノで遊んでいたのが、私とピアノとの出会いでした」

4歳の時のピアノの発表会

 父親は彼女をバレーボール選手にしたかったようだが、ピアノの魅力に目覚めた彼女は修錬を重ね、1988年に名門桐朋女子高校音楽科に見事合格。単身上京し、寮生活を始める。しかし、学校とコンクールの課題を淡々とこなす生活を送る中、いつしか彼女は目標を見失っていったという。

 「こんなのでいいのかな……、と常に心の奥にぽっかりと穴が開いたような感じでした」

 そんなある日、誘われるままに行ったのがディスコ。時あたかも日本中が「バブルの宴」に酔いしれた、ディスコ全盛の時代であった。会場全体を包む一体感、そして高揚感。

 「その瞬間、忘れかけていたあの感覚を思い出したんです。12歳の時、通っていた東北音楽学校の創立記念オペラの主役に私は抜擢され、仙台フィルハーモニー管弦楽団との共演という素晴らしい経験をさせていただきました。皆で楽しんだその時の“一体感”、そして『音楽』は「音学」ではなくて「“音”を“楽”しむ」と書くんだ!という熱い心を、ディスコのお立ち台が思い出させてくれたのです(笑)」

12歳の時の東北音楽学校の創立記念オペラ。中央のオレンジ色の服を着ている少女が浦山さん

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