「クラシック音楽に深く接してこなかった方にこそ聴いてほしい」――“魂のピアニスト”浦山純子氏あなたの隣のプロフェッショナル(4/6 ページ)

» 2009年02月06日 11時30分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

不安といら立ちの中に沈む日本人に勇気と感動を

 それ以降、浦山さんは東京を拠点にロンドンとの間を行き来しながら、日本津々浦々で演奏活動を行ってきた。彼女は、自らの「ミッション」について次のように語った。

 「ピアノを弾く才能を与えてくださった神様へ恩返しをすることです」

 恩返しとは具体的に何を示しているのだろうか。

 「私は現代日本の厳しい社会状況の中で頑張っている人々に、私の奏でる音楽を通じて、安らぎとか希望を少しでも感じていただけるといいなと思っているのです」

 冒頭で紹介した大分県でのリサイタルの盛況ぶりは、そんな彼女の温かい想いが人々に伝わっている何よりの証拠ではないだろうか。

 「今、暗いニュースも多く、せわしない世の中になっていますよね。生活の中での不安感や葛藤から、知らず知らずのうちに心にバリアを張ってしまい、自分自身の本当の姿や気持ちが見えなくなってくる。私自身もそんな時、音楽に何度も助けられてきました。心を豊かにしてくれる音楽で、私はそうしてかたくなになった心を溶かすお手伝いをしたいのです」

入魂の演奏(©MAMORU HORI)

 J-POPでもその時代その時代の人々のライフスタイルや社会状況を反映した心にしみる楽曲は数多く存在するし、ある曲を聴くと流行した当時の出来事が走馬灯のように脳裏を過ぎることはよくある。

 そうした音楽とクラシック音楽の違いとは何なのか?

 半世紀ほど生きただけの筆者のつたない体験で言うならば、クラシック音楽の本当に優れた演奏を聴くことにより、「自分の魂が高いところへと連れ去られ、日常生活のドロドロした出来事やそれがもたらすさまざまなネガティブな感情が、あたかも遠く下界の出来事のように感じられる」ことである。

 フリッツ・クライスラー(バイオリン)、パブロ・カザルス(チェロ)、カール・リヒター(指揮)……といった一級のアーティストの演奏を通じて、筆者は確かにそういう経験をした。それは言い換えれば、ドロドロした感情の泥沼でもがいていた状態をいったん脱し、洗い清められたような「素」の自分と出会うことができるということである。

 本来の自分が思い描いていた人生や人間関係、夢や願い事……いつしか忘れかけていた魂の叫びにも似た深い想い、自分はこうありたいという切なる想いの数々との、久々のそして幸福な再会を演出する。浦山さんが目標としているのはそういうことのようだ。実際、彼女の公演に詰めかけたお客さんたちからの感想には、そうした内容のものがとても多いという。

真理を追い求める姿勢に結果はついてくる

 人の心のバリアを溶解させる。

 しかしそれは、狙って演奏したからといってできることではなく、あくまで結果としてついてくる効果である。何よりも大切なのは、演奏内容自体が人の心を揺さぶるものでなければならないこと。それはすなわち、浦山さん自身の魂が高い境地に達している必要があるということだ。

 「感動を与えるには真心の積み重ねと熱意が大切だ、とつくづく思います。生き方も音楽の取り組み方も、私にとっては一緒です。例えば、ホテルやお店での誠意ある温かい対応にグッときて、また来たいなという信頼関係が生まれるようなもの。そうした輪をどんどん広げていくようなふれあいをピアノでやりたいのです。

 私はピアノを弾くという能力をいただき、生かされている。そのプレゼントを正しく使えるように、そしてもともと音楽は神様への祈りや捧げものというルーツを大切に、全身全霊をかけて取り組みたい。それがミッションだと信じています」

 ミッションを実現するために、浦山さんは今なお猛烈な練習の日々を送っている。

 「私は『努力することが苦しいのではなく、努力が足りないから苦しいのだ』と信じているのです。常に真理を追い求める姿勢で取り組んでいれば、結果はついてくると思います」

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