二次元の女と三次元の女、見つめたいのはどっち?郷好文の“うふふ”マーケティング(1/2 ページ)

» 2009年02月12日 07時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]

著者プロフィール:郷 好文

マーケティング・リサーチ、新規事業の企画・開発・実行、海外駐在を経て、1999年より2008年9月までコンサルティングファームにてマネジメント・コンサルタントとして、事業戦略・マーケティング戦略、業務プロセス改革など多数のプロジェクトに参画。 2008年10月1日より独立。コンサルタント、エッセイストの顔に加えて、クリエイター支援事業 の『くらしクリエイティブ "utte"(うって)』事業の立ち上げに参画。3つの顔、どれが前輪なのかさえ分からぬまま、三輪車でヨチヨチし始めた。著書に「ナレッジ・ダイナミクス」(工業調査会)、「21世紀の医療経営」(薬事日報社)、「顧客視点の成長シナリオ」(ファーストプレス)など。中小企業診断士。ブログ→「マーケティング・ブレイン」


 ヌードクロッキーのエピソードを、文筆業にたずさわり非常勤講師でもある大野左紀子さんのブログで読んだ。かいつまむとこんな内容である。

 ある日のデザイン専門学校での授業。1年生必修のヌードクロッキーがデッサンのテーマだ。女性のモデルさんが裸でポーズを取った。すると、しばらくして「気分が悪い」と退室する学生が何人も出たという。どうしてなのか? 緊張感からだろうか?

 教官によるとそれだけではないという。アニメコースに入学する学生は、毎日のように女の子の絵を描いている。ヌードもたくさん描く。だからヌードに緊張したというだけでは説明がつかない。

 教官は教えてくれた。アニメ作家志望の彼らには“理想的な女の子”が頭にインプットされている。画面からはみ出すほど長い脚や、ほっそりとした腰の女体。ところがナマの女体はそれとは違う。(鍛えているとはいえ)モデルには脂肪もあれば、シワもあるし、毛もある。三次元のモデルの肉体には、二次元アニメでは省かれがちなそういった“ノイズ”が過剰にある。そのため、ナマの肉体と理想的な女の子とのギャップに耐えきれず、気分を悪くして退室するというのだ。

 そしてそればかりか、目の前の裸体とはまるで異なる“アニメの女の子”を、うつむいてスケッチブックに描く学生もいたという。

“ミテルだけ”が象徴すること

 さまざまな議論が生まれるだろうエピソードである。アニメはPCでCGを描くもので、マーケットはリアルではなくバーチャルの姿態を求めているのだから、ナマ身のクロッキーがいるだろうかとか。アニメのキャラとはもはや人間観察から生まれず、フィギュアやPCのベジェ曲線から生まれるのかとか。もちろん“ナマの女への恐怖心”というオタク心理分析的なテーマもある。

 ひと頃、『ミテルだけ』というDVDが話題になった。50人の女性たちが撮影するビデオカメラの方をじっと見ているだけ。その女性たちの目を1分間見つめるトレーニングによって、人見知りの羞恥心やナマの女性への恐怖心を減らすのが狙いだという。へえ、私なぞは、見つめて吟味して妄想して時々褒めるのが習慣なのに。

ミテルだけ(出典:エイベックス)

 見つめるとは本来、“あなたに興味を持っていますよ”というサインなのである。なのに見つめるという行為だけを切り離して、バーチャルでトレーニングするというのはちょっと変だ。無遠慮に見つめる力が付いてしまうのはむしろ恐ろしい。

 これはナマへの恐怖心、“ナマ女性対オタクの問題”という構図にとどまらない。“恐怖心を和らげるトレーニング”という切り口は今どきの人間心理をズバリ突いているのだ。ナマを怖がる心のまん延があちこちにあるからだ。

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