君はベルクに行ったことがあるか? 新宿駅にある小さな喫茶物語(前編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/7 ページ)

» 2009年06月19日 08時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

ドイツ・オーストリア風であって、そうでない〜ファジーなアイデンティティ〜

ベルクの店長、井野朋也さん

 「ベルクという名前は詩人であり、クラシック音楽を愛好していた父が、この店を創業するに当たって『新ウィーン楽派』(20世紀の代表的作曲技法「十二音音楽」を創始)の作曲家アルノルト・シェーンベルク(オーストリア→米国、1874〜1951)から最後の『berg』(ベルク)だけをもらって命名したんですよ」と井野さんは語る。

 ちなみにBergは、ドイツ語で「山」を意味するが、それは直接関係ないようだ。

 こうした由来を聞くと、お店の代表的メニューとして、ハプスブルク帝国の伝統が今に生きる、オーストリア・ウィーンの「アインシュペナー」、「メランジェ」といったコーヒーや、「ザッハトルテ」のような甘いチョコレートケーキをイメージする人もいるだろう。

 「いや、それは全然、関係ないんですよ」と、井野さんと迫川さんは笑う。

 「メニューの柱は、コーヒー、ビール、そしてホットドックなどのフードです。結果的に、コーヒーマシーンはドイツ製ですし、ドックなどに使うソーセージ類は、ドイツでマイスター(親方職人)の資格を取得し、国際コンクールで金賞を受賞した名人に作ってもらっていますので、そういう意味では、ドイツ的な要素はあります。

 でもベルクのアイデンティティは、私たちが一方的に決定して、それにフィットするお客様にだけ来てもらう、というのではありません。来店されるお客様たちと私たちとの相互作用の中で、お客様たちによって自然に形成されていくものだと思っているんですよ」

 著書の中でも井野さんはこう綴っている。

 「店を自分のものだと思ってはいけない。経営者はとかく店の都合を優先させてしまう。でも、店はお客様のものだという意識も必要。店はみんなのもの。自分はその一員」と。

 「来店客との相互作用の中で形成されてゆくアイデンティティ」という話、そして「店はみんなのもの。自分はその一員」という話を聞いて筆者が想起したのは、「主客一如」の経営哲学だ。

 主体としての自分と、客体としての、自分を取り巻く森羅万象とを、未分化の状態、すなわち、一体化したものと見なす。そして、その中で「生かされている」ことに感謝を捧げる経営哲学であり、仏教哲学に由来する日本伝統の思想である。100年、1000年という伝統を誇る日本各地の老舗企業に脈々と流れる思想として、近年、筆者が特に注目しているものである。

 「これを戦後生まれの井野さんと迫川さんが、戦後創業のお店で、それと意識することなく実践している点に重大なポイントがある」――そう確信した筆者は、それを明らかにすることに注力しようと腹をくくった。

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