「なぜ?」ってなぜ?新連載・ちきりんの“社会派”で行こう!(1/3 ページ)

» 2009年08月14日 07時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2005年8月10日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 世の中の大多数の人がやっていることをやらないと、「なぜ?」と聞かれます。今だと、いい年して定職についてないと「なぜ?」。高校に行かずに働くというと「なぜ?」。地方都市で結婚していない30代後半女性も「なぜ?」です。結婚5年目で子どもがいないと「なぜ?」だったりもします。

 この「なぜ?」ってのは、厳密に言えば、「なぜほかの人がやっていることを、あなたはやらないのか?」という質問です。ですが、質問している人はたいてい思考停止状態ですので、そういう質問だと認識していません。「なぜ、あなたはフリーターなの?」という質問の裏返しとして、「なぜ、あなたは定職についているの?」という質問も成り立ちうることを、質問者は認識していないのです。

 自分がやっていることは、世の中の大半の人がやっていることである。したがって自分は「普通」であり、普通でない人に「なぜ?」と聞くことは自然なことである、と思ってる。でも世の中は多数決だけで決まっていくものではない。人と違うことをやること、考えることは、決して不自然なことでも悪いことでもない。

 民主主義とは多数決のことです。でも、それは「多数派の意見が正しい」ということを意味しているわけではありません。

 「何でフリーターなんかやってんの?」という質問。本当はこうなります。「僕は定職についていないと将来が不安だから定職について、理不尽なことも我慢して辞めずにいるんだけど、なぜあなたは定職についていないの?」と。

 そしたら聞かれた方も答えやすくなります。「いや、僕は別に不安を感じないんだよ」とか「理不尽なことに耐えられないんだ、俺」とかね。そういう聞き方されないと、「なぜ世間の人と同じ事をしないのか?」と言われても、「何でみんなと同じことする必要があるの?」と聞き返したくなります。あまのじゃくなちきりんです。

 「なぜ?」と聞く人は、「世間の大半の人がそんなことをしていなくても、自分はそうしているのか?」とまず自問自答してほしい。世間の大半の人が定職に就かず、短期的なアルバイトを転々としたり、日雇い的な就業形態をとっていても、あなたは定職に就こうとするのでしょうか? 世間の大半の人が結婚していなくても、あなたは結婚するのでしょうか?

スウェーデン王国政府公式Webサイト

 多分そんなことないです。スウェーデンなどでは、同棲もせずにいきなり籍をいれるなんて、むしろそのほうが「なぜ?」と言われたりします。好きなら一緒に住んで、子どもが欲しければ生みます。でも、結婚するかどうかは別問題、と考える人もいます。

 法律的にも社会的にも、結婚と同棲は同じ扱いです。そういう状況下ではわざわざ法的に結婚する人の方がむしろ理由を問われはじめるのです。単なる同居をしている人が、「ところであなたたちはなぜ籍を入れたの?」と聞き始めるってことです。

 つまり、本質的にどちらが自然な状態で、どちらが自然でないか? という問題ではないのです。「どっちが今、この地域においてこの時代において、多数派か?」という話なのです。

 どちらかが「本質的に自然な形」なのであれば、自然な方から不自然な方へのみ“なぜ質問”が成り立ちます。でも「本質的に自然なこと」なんてのは、本能的感情や本能的行動ならありえても“社会的なこと”には存在しないので、たいていは「特定時期の特定地域における多数派から少数派の方向」に“なぜ質問”が投げかけられます。

 日本でも、おばあちゃんの時代には、「なぜ女が大学に行くのか?」と言われた……今なら反対の方向に質問は投げかけられます。

       1|2|3 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.