「なぜ?」ってなぜ?新連載・ちきりんの“社会派”で行こう!(2/3 ページ)

» 2009年08月14日 07時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

少数派には強い意志

 というわけで、大半の人が東に向かって歩いている時に、西に走っている人というのは、ほんとに西に行きたかった、からなのです。みんながやっているから、という理由以外に、「強く西を志す理由」がその人にはあった。しかもエネルギーもあった。ちょっとくらい「西に行きたいな〜」くらいでは、みんなが東に向かって歩いているのに逆行するのはとても難しい。

 論理的には、東に向かっている人の中にも「みんなが東に進んでいるからではなく、俺はホントに東に行きたいのだ!」という人はいます。でもそれを証明することは難しいし、そもそもそんなにたくさんはいないんだと思う、そういう人は。

 今、高校を出てから何らかの学校、大学か専門学校かに行くことはとても自然なことですが、進学率が10%みたいな時代に大学に行った人には、それなりに強い意志があったと思います。

 もちろん環境もある。学資も生活費も必要だから。でも、一番必要だったのは強い意志だと思う。そういう時代の人で大学行ってる人の本などを読むと、実家が裕福で、という人ばかりではないわけです。何とか大学に行きたくて、学校の先生や遠い知り合いの援助を受けて、家出同然に東京に出てきてとか、コネのコネのコネをつたって書生になって、それで大学に行った、みたいな話は結構あるように思います。

谷崎潤一郎の生き方

 ちきりんは、「ホントにやりたかったことあるか?」と言われたら、ちょっと考えないと出てこない。誰も大学に行ってない時代に生まれたら、多分行っていない。50年早く生まれたら専業主婦をやっていたでしょう。大半のことは「どっちでもいい」という感じです。流されやすいとも言えるし、柔軟性、適応性が高いとも言えます。どこでも「住めば都」と思えるタイプです。

谷崎潤一郎の代表作『細雪』

 谷崎潤一郎という作家がいました。結婚して離婚してを繰り返すだけでなく、女性関係むちゃくちゃです。気に入った芸者と結婚しようと思ったけれど、彼女には旦那がいたので「代わりに」その妹と結婚してます。代わり? ということで、どんな女性かほとんど知らずに結婚したみたい。「あいつの妹ならいいに違いない」みたいな感じだったのでしょうか。

 ところが、その女性とは案の定うまくいかない。んで、なんと友人にその「妻を譲渡」した。その時、わざわざほかの友達らにもあいさつ状をだしたらしい。僕は●●に妻▲▲を譲ります、みたいな。どう考えればいいんでしょうね(友達の方も押しつけられたわけではなく、谷崎の奥さんと情が通じていたみたいで、つまり関係者合意の上の譲渡と言われてます)。

 谷崎の最後の妻、松子さんと彼は、どちらにも配偶者ある身で出会っています。ある日、どこかの家の応接室でたまたま2人きりになった時に谷崎が松子さんに言った言葉が有名。

 「お慕い申しあげております」

 この時、谷崎48歳。昭和9年=1934年の夏の終わり。

 48歳で双方に配偶者があって、んで、わざわざ両方離縁して一緒になりたいって、普通、実行しようとしますかね? 不見識なことを言えば「浮気してればいいじゃん?」っていう気がするんですよね。女性の方の不貞はまずい時代だと分かるけど、男の方はどうでもよかった時代でしょう? 別宅のある作家なんて珍しくもなかった時代だと思う。

 そもそも谷崎って女性に関して、むちゃくちゃなんだか律儀なんだかよく分からない。そんな律儀に離婚したり結婚したりする必要があるのか。ちょっと不思議です。

 でも思うのは、やっぱりこういうのって、「みんなが東だから俺も東」的なものではなかったんだろうな、ということ。時代や周りがどうあれ「俺はこうする」というものがあったんだと思う。谷崎がそういう人だったのか、松子さんとの関係性がそうだったのか、よくわかりませんが。

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