覚せい剤中毒からどのようにして更正できたのか?――杉山裕太郎さん(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(1/6 ページ)

» 2009年10月16日 11時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

嶋田淑之の「この人に逢いたい!」とは?:

 「こんなことをやりたい!」――夢を実現するために、会社という組織の中で目標に向かって邁進する人がいる。会社の中にいるから、1人ではできないことが可能になることもあるが、しかし組織の中だからこそ難しい面もある。

 本連載では、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏が、仕事を通して夢を実現するビジネスパーソンをインタビュー。どのようなコンセプトで、どうやって夢を形にしたのか。また個人の働きが、組織のなかでどう生かされたのかについて、徹底的なインタビューを通して浮き彫りにしていく。


 芸能界はもとより一般社会への覚せい剤浸透が深刻化している中で、自らの覚せい剤中毒体験を踏まえ、青少年の健全育成を推進しようと立ち上がった男性がいる。魂のヴォーカリスト・杉山裕太郎さん(35歳)である。

 杉山さんは、自治体や経営者団体などに招かれ、ライブ(講演+歌)を全国各地で展開しつつ、ラジオのDJや俳優としても活躍している。

 前編では、学級委員を務めるなど優等生として順風満帆な学校生活を送っていた彼が一転、親や教師との確執で非行に走り、暴走族総長となって、シンナー中毒、そして、覚せい剤中毒になっていったプロセスをご紹介した。この後編では、その後の杉山さんを襲った“生き地獄”のような生活、そこからの更正と活躍、そして今後の夢などをお伝えしたいと思う。

覚せい剤中毒の日々とは?

岐阜市のライブハウスにて。20歳のころは、遊びでコピーバンドのボーカルをやっていた

 暴力団ともつながる岐阜県内の暴走族の総長に「就任」していた杉山さん。自己肯定感を全く持てない虚無感・疎外感などから、とうとう覚せい剤に手を出し、そこから離れられない中毒症状に陥っていた。

 「覚せい剤というのは、自己肯定感の強い人がやっても、ただ体がダルくなるだけで、気持ちよくはないんです。(前編で述べたように)自分は社会の誰からも必要とはされていないという、自己否定的な『意識』を抱えていました。その一方、自分は本当はそんな人間じゃないという、魂の叫びのような『本能』が心の底で渦巻いている、という分裂した状態にある人間が覚せい剤をやることによって、体全体がその『本能』に満たされて気持ちよくなるんですよ。

 その本能に支配されている間は、それまでの日常と異なり、抑圧がない非常にクリアな状態なので、自分の人生についていろいろと思考をめぐらせられるんです。でも、やがて体がだるくなってきて寝てしまいます。起きると、また覚せい剤を打つ。その繰り返しですね。

 覚せい剤は、注射後5〜8秒くらいで効果が出てくるんです。それを2時間おきにやっていましたね。覚せい剤の効果で、やがて性的快感が強烈になって、しかも7時間とか8時間とかそれが持続する喜びを知ってしまうと、そこから逃れることは困難になります」

 有毒な覚せい剤が体内に入り続けることによって、肉体的な変調はなかったのだろうか?

 「感覚がマヒしてエスカレートしていくと、注射自体が楽しいという感覚になり、覚せい剤以外でも、病院で使うような点滴を入手して注射したりしました。しかし栄養ドリンクやコンタクトレンズの精製水を入れたときは、正直言って死にかけましたね。あれは気持ちよいとかではなく、まさに七転八倒の苦しみでした……。今考えるとバカなことをやっていたと思いますし、覚せい剤中毒の恐ろしさをしみじみ感じます」

 警察に現行犯で逮捕される可能性も高かったのでは?

 「覚せい剤を長年常用するようになると、どうしてもワキが甘くなります。注射器とか証拠になるようなものを自宅に置きっぱなしにするとかしてしまいがちなんですね。でも、私はそういう点は用心深くて、覚せい剤はもちろん、注射器もはかりも常に携帯するようにしていました。

 それに、当時、付き合っていた7〜8人の女性の家を泊まり歩いて、1カ所に2日以上いないようにしていたんですよ。でも、ある女性に、私が別の女性といるところを目撃されてしまい、その彼女が腹を立てて、私のことを警察にチクッたんですよ。それで警察のガサ入れを受けるハメになりました」

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