若手記者が疲れている……永田町に蔓延する“ウソ”の実態相場英雄の時事日想(1/2 ページ)

» 2010年01月28日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

相場英雄(あいば・ひでお)氏のプロフィール

1967年新潟県生まれ。1989年時事通信社入社、経済速報メディアの編集に携わったあと、1995年から日銀金融記者クラブで外為、金利、デリバティブ問題などを担当。その後兜記者クラブで外資系金融機関、株式市況を担当。2005年、『デフォルト(債務不履行)』(角川文庫)で第2回ダイヤモンド経済小説大賞を受賞、作家デビュー。2006年末に同社退社、執筆活動に。著書に『株価操縦』(ダイヤモンド社)、『ファンクション7』(講談社)、『偽装通貨』(東京書籍)、『みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎 奥会津三泣き 因習の殺意』(小学館文庫)、『みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎 佐渡・酒田殺人航路』(双葉社)、『完黙 みちのく麺食い記者・宮沢賢一郎 奥津軽編』(小学館文庫)、漫画原作『フラグマン』(小学館ビッグコミックオリジナル増刊)連載。


 「もうヘトヘトです」――。過日、某民放局の若手記者と食事した際のこと。開口一番、若手の口からこんな愚痴が飛び出した。

 同記者は経済界を広範にカバーする優秀な人材。元記者の筆者が「若いうちはクタクタになるまで取材すべし」などと偉そうにアドバイスすると、意外な答えが返ってきた。若手を追い詰めていたのは、新政権の要人が連発している「ウソ」だったのだ。今回の時事日想は、最近、メディア関係者を苦しめている「ウソ」について考えてみる。

「ウソ」は解散と公定歩合のみ

 筆者がまだ駆け出し記者だったころ、いきなり担当したのが日銀だった。外為市況をカバーする傍ら、筆者は先輩記者をフォローするため、日夜日銀の主要部局を回った。そこで直面したのが、ずる賢い「ウソ」の数々だった。

 当時の日銀には、現在のように金融政策決定会合というガラス張りの合議の場はなかった。公定歩合など金融政策の根幹を成す政策金利は抜き打ちで変更された。総裁や副総裁、関連部局の幹部があうんの呼吸で公定歩合の上げ下げ、変更幅を決めていたのだ。

 この間取材する側は、日銀首脳はもちろんのこと、日銀に横槍を入れたがる政界や大蔵省をもフォローした。

 ゼロ金利政策下の現在では考えられないことだが、当時の経済界はバブル崩壊後の景気低迷、金融機関の不良債権問題など重要なテーマが山積中で、公定歩合の変更が経済活動の潮目を変える重要な役割を果たしていた。

 当然ながら、公定歩合をめぐるメディア間の競争は激しさを極めた。スクープを出して当たり前、全社中一社だけがネタを逃す「特オチ」でもあれば、当該キャップのみならず、経済部長の首がすげ替えられるようなテーマだったのだ。

 話が長くなってしまったが、ここで筆者は「ウソ」に直面し、苦しめられたのだ。取材力不足という要素のほかに、当時のメディア界、そして政財界では「解散と公定歩合についてはウソを言っても良い」との暗黙のルールがあったからだ。解散とは、衆議院の解散であり、首相の伝家の宝刀を指す。公定歩合と解散は世情に多大なインパクトをもたらすため、「ウソ」という免罪符が与えられていたわけだ。

 具体的には「(利上げを決める)臨時政策委員会はあす開催ですね?」という記者の問いに対し、「総裁は予定通りに出張だから、ないよ」といった具合で取材陣は煙に巻かれた次第。翌日、総裁は出張など行かず、朝一番の会議で公定歩合の変更が発表された、という具合だ。筆者のような駆け出し記者が老練な日銀マンや官僚を訪ねても、煙に巻かれるのがオチだったのは言うまでもない。

 ただ、公定歩合以外の取材では、この手のウソに遭遇した機会はほとんどない。もちろんウソを言ってその場を取り繕う人物はいたが、筆者だけでなく、他社の記者からも次第に相手にされなくなった。「記者の背後には国民や利害関係者がたくさん控えているため、公定歩合以外は絶対にウソを言ってはならんと常々言われてきた」(当時の日銀幹部)とのポリシーが徹底していたからに他ならない。

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