なぜ無酸素で8000メートル峰を登るのか――登山家・小西浩文新連載・35.8歳の時間(3/6 ページ)

» 2010年02月16日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

 それでも懲りずに、山には登っていましたよ。そうですね……年間100日くらいは学校を休んでいました。なので2年生のときに、退学しようと思っていました。実は北アルプスにある山小屋で“内定”をもらっていました。まだ16歳でしたが、1人で山に行って「ここで働かせてもらえませんか?」とお願いして。するとOKの返事がもらえたので、こちらは働く気満々、学校を辞める気満々。しかし「高校を辞めて、山小屋に就職する」と聞いたオフクロが泣き崩れてしまって……。

 晩御飯を作りながら泣いて、テレビを見ながら泣いて、布団に入って泣いて。オフクロはずっと泣いていたので、みるみるうちに頬がこけてやせていった。さすがにオフクロがやつれていく姿を見て、山小屋で働くことは断念しました。とはいっても学校に戻るのも辛かった。というのも年間100日以上休んでいるので、当然進級することが難しい。このままでは落第は確実だったのですが、当時の私にとって落第するということはとても恥ずかしいこと。もし落第すれば「学校は辞めよう」と思っていました。

アマダブラムの岩壁(4000メートル付近)を登っている小西氏(ネパール、1998年)

 とりあえず学校に行き始めたのですが、先生はこんなことを言っていました。「あれ? 小西は学校を辞めたんじゃなかったのか?」と。同級生にも同じようなことを言われましたね。山小屋では働かず、とりあえず学校には行ってみたものの、授業にはついていけずちんぷんかんぷん。でも「落第はしたくない」という思いで、必至に勉強しました。そしてなんとか追試を受けさせてもらうことに。しかも1回だけではなく、4回も受けさせてもらいました。それでどうにかこうにか落第せずに済んだのですが、このことはトラウマになってしまいました。7〜8年前までは追試を受けている夢をよく見ていましたから(笑)。

 やっとのことで高校3年生になれたものの、懲りずに山には登っていましたね。また学校を100日くらい休んでいたので、授業に出てもちんぷんかんぷん。2年生のときと同じように落第したくないという思いだけで、必至に勉強。そして追試を受け、なんとか卒業することができました。「山小屋に就職する」といってオフクロを泣かせはしましたが、卒業できることでなんとも晴れ晴れとした気分に。卒業式の日には「人生はバラ色だ」と思っていましたね(笑)。

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