なぜ無酸素で8000メートル峰を登るのか――登山家・小西浩文新連載・35.8歳の時間(5/6 ページ)

» 2010年02月16日 08時00分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

35〜36歳のとき

――1982年、小西は20歳のときにパミールにある「コルジェネフスカヤ」(7105メートル)と「コミュニズム」(7495メートル)の登頂に成功。さらにその3週間後には、中国の「シシャパンマ」(8012メートル)を無酸素で登りつめた。

ガッシャーブルム1峰(8068メートル)の頂上にいる小西氏(パキスタン、1997年)

 8000メートル以上の山を酸素ボンベなしで登れる人は、ほとんどいません。なぜ無酸素で登るのですか? とよく聞かれるのですが、酸素ボンベなしで登らなければ、ワクワクしないんですよ。70歳、80歳になっても無酸素で登り続けたいですね。

 人間というのは生き物なので、死というものから逃れることはできません。死が隣にあることで、自分が生きているということを意識できますよね。ただ普通の生活を送っている限り、多くの人は死というものを意識しないのではないでしょうか。ただ私の場合は、無酸素で山を登り続けているので、いつも死というものを意識しながら生きざるを得ません。私の周囲にも「無酸素で山に登るなんて止めなさい」という人はたくさんいます。逆に言うと、死というものを意識しなければ、山に登れないんですよ。

 一番印象に残っている山ですか? すべて印象に残っていますよ。ただあえて言えば、1996年にエベレストの登頂に失敗したとき。35歳のときですね。私はこの登山で、生涯のパートナーと決めた仲間を目の前で亡くしました。ネパール東部に住む少数民族・シェルパの男性で、名前はロブサン。私のエベレスト無酸素登頂の挑戦は、彼なくしてはありえなかったからです。

 シェルパの人たちというのは高地に順応しているので、世界中の登山家がヒマラヤを登るときパートナーに選んでいる。5歳下の彼とは2回にわたり、8000メートル峰に挑み、まさに“戦友”といった仲。1996年に私はロブサンと2人でエベレストに登っていて、7500メートルのところで他の登山隊2人と合流。しばらくすると、突然「ピーッ」と指笛が聞こえてきたんです。これは危険を知らせる合図で、ロブサンが雪崩を知らせてくれた。前方500メートルに雪崩……巨大な氷がはがれこちらに飛んでくるようなものでした。

 直撃すれば間違いなく死ぬ。私はとっさに目の前にあった小さな氷壁に駆け上ってへばりつきました。身を隠した氷壁の上をいくつもの氷塊が飛び越えていきました。幸いにも私は、雪崩の直撃をかわすことができた。しかしロブサンの姿がそこにはなかったのです。必至で彼を探してみたものの、ついに彼を見つけることはできませんでした。一緒に登っていた2人の遺体は回収できましたが、結局ロブサンの髪の毛とフェイスマスクしか発見できなかった。

 そのときの登山は中止しました。ロブサンを失った精神状態で、無酸素登頂なんてできるわけがないと判断したから。しかし帰り際、私はこのように誓いました。「ロブサンのために、絶対に14座の無酸素登頂を成功してやる。これしか彼の供養はない」と。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.