その誓いを果たすため、翌年、私は8000メートル峰を3つ(エベレスト南東稜8848メートル、ダウラギリ1峰8167メートル、ガッシャーブルム1峰8068メートル)を無酸素で登りました。36歳のときです。ロブサンのために登り続けるしかない、と思っていましたが、そのときの私は少しヘンでした。「ここで登れなかったら、ロブサンの死がムダになる」――といった思いで登っていたのですが、そんな思考でまともな判断ができるわけありません。無理をして登頂を目指していたため、そのときのパートナーは酸素不足からパニック状態になってしましました。
ひどい状態の私に、ある人はこう言ってくれました。「また来年登ればいいだけの話じゃない」と。ロブサンを失ったことは本当に悲しいことですが、自分にはまた来年があると、そう思うことにしました。いま振り返ってみると、35〜36歳のときの私は死に向かっていました。しかし同時そのベクトルが、生へと導かれた瞬間でもありましたね。
いまは人間社会に貢献したい、という思いも強いですね。もちろん8000メートル峰の14座を無酸素で登頂するという気持ちも強いのですが、高い山に登り続けているだけでは人への影響は少ない。なので登山を通して得た勇気や慈愛といったものを、1人でも多くの人に伝えていきたいですね。
私は山に登ることしかできない人間かもしれません。しかしその山を通して、少しでも社会に貢献できれば、生まれてきたかいものあるのかな――最近はそんな風に考えています。
――2009年12月時点、小西と一緒に山を登り、亡くなった人の数は50人を超えた。(本文:敬称略)
年度 | 国/地域 | 山名 | 標高 | 記録 |
---|---|---|---|---|
1982 | パミール | コルジェネフスカヤ | 7105m | 登頂 |
パミール | コミュニズム | 7495m | 登頂(連続) | |
中国 | シシャパンマ | 8012m | 無酸素登頂 | |
1984 | パキスタン | ナンガパルバット | 8125m | ディアミール壁7600m到達 |
1985 | 米国 | マッキンリー | 6194m | 登頂 |
1986 | ケニア | ケニア山 | 5199m | ダイヤモンドクロワール登頂 |
タンザニア | キリマンジャロ | 5895m | ヘイムグレイシャー登頂(日本人初) | |
1987 | ネパール | ピサンピーク | 6091m | 冬季単独登頂 |
パミール | レーニン峰 | 7134m | 登頂 | |
ネパール | ダンプピーク | 6012m | 単独登頂 | |
1989 | 旧ソ連 | ハンテングリ | 7010m | 登頂(日本人初) |
1991 | パキスタン | ブロードピーク | 8015m | 無酸素登頂 |
1992 | パキスタン | ガッシャーブルム1峰 | 8068m | 7300m到達 |
パキスタン | ガッシャーブルム2峰 | 8035m | 無酸素登頂 | |
パキスタン | K2 | 8611m | 7200m到達 | |
中国 | チョーオユー | 8201m | 無酸素登頂 | |
1996 | ネパール | カンチェンジュンガ | 8586m | 無酸素登攀8400m到達 |
1997 | ネパール | エベレスト南東稜 | 8848m | 無酸素登攀7500m到達 |
ネパール | ダウラギリ1峰 | 8167m | 無酸素登頂 | |
パキスタン | ガッシャーブルム1峰 | 8068m | 無酸素登頂 | |
1998 | ネパール | アマダブラム | 6812m | 登頂(ガイドとして) |
1999 | ネパール | パルチャモ | 6280m | 冬期登頂(ガイドとして) |
2000 | ネパール | メラピーク | 6450m | 登頂 |
2002 | ネパール | マナスル | 8163m | 無酸素登攀7700m到達 |
2004 | ネパール | アイランドピーク | 6160m | 登頂 |
2005 | ネパール | アイランドピーク | 6160m | 登頂 |
2006 | ネパール | マナスル | 8163m | 無酸素登攀7000m到達 |
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