日本に貧困は存在するのか?――“貧困の定義”を考えるちきりんの“社会派”で行こう!(1/4 ページ)

» 2010年03月09日 08時00分 公開
[ちきりん,Business Media 誠]

「ちきりんの“社会派”で行こう!」とは?

はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。

※本記事は、「Chikirinの日記」において、2008年1月17日と2月22日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。


 貧困問題を考える時の第一歩は“貧困の定義”です。どういう状態を貧困と呼ぶか合意できないと、現状の貧困レベルを測ることはできないし、必要な対策をとることもできません。というわけで、今回は貧困の定義を考えてみます。

 まず、「貧困問題を相対的貧困と絶対的貧困のどちらで考えるか」という問題があります。また、それぞれについて、「母集団をグローバルに考えるか、日本で考えるか」という問題があります。

 例えば「グローバルな絶対的貧困の基準」は、「その日の食べ物に困っている状態」「1日1ドル以下で生きている人」などと定義されます。また、「グローバルにみた相対的貧困の基準」は「“世界の真ん中の経済状況の人”の半分以下の収入で暮らす人」などと定義されます。

 しかし、こういった基準で考えてしまうと、日本人で貧困状態に該当する人はほとんどいなくなってしまいます。「アフリカでは多くの子どもが餓死しているのに、高校に進学できないくらいで甘えるな」というような意見は、貧困の定義としてグローバル基準を採用した場合に出てくる言葉です。

 ただ、「貧困の基準はグローバルではなく、その国の中で定義するべき」という意見の方がおそらく多数派でしょう。「日本国民であればみんな、日本という国の豊かさを平等に享受できて当然」と考えれば、貧困レベルはローカルに判断されるべきとなります。また、日本国憲法では第二十五条に「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と書かれていますが、この“最低限度の生活”とは、“日本における最低限度の生活”と理解するのが常識的でしょう。

 では、「日本における相対的貧困を問題視すべきなのか、絶対的貧困を考えるべきか」という点についてはどうでしょう。相対的貧困は「日本人のうち真ん中の所得の人の半分以下の所得で暮らす人」という定義で、厚生労働省の2007年調査では15.7%となっています。

日本の相対的貧困率の年次推移(出典:厚生労働省)

 「6〜7人に1人が貧困状態」と言うと、ずいぶん高い比率のように思えますし、国際的に比較しても米国と並んで高い比率になっています(参照リンク)。しかし、相対的貧困率は年功序列賃金の影響を受けるなど、数字としての意味合いに疑義も挟まれています。

 また、相対的に貧困といわれる層でも、生活に何の問題もない場合もありえます。例えば月に10万円の年金収入で暮らす高齢者は、退職金を含めて数千万円の貯金やローン返済の終わった一戸建てを持っていても、年収120万円なので相対的貧困層とみなされています。このように相対的貧困率はそのまま鵜呑みにしていいのかどうか、ちょっと難しい数字です。

 というわけで、ちきりんは「日本に貧困問題は存在するのか。それはどの程度深刻なのか?」ということを考えるためには、「日本という国における“絶対的貧困レベル”とはどういうものなのか?」を定義する(考える)必要があると思っています。

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