“検察の正義”に委ねていいのか? 元検事、元司法記者が語る、小沢捜査の裏側(3/5 ページ)

» 2010年03月11日 08時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

検察中心の刑事司法の仕組み

郷原 私の西松建設事件と陸山会事件についての見方も、今、魚住さんが話したこととほとんど変わりません。検察の能力が極端に低下し、そういう言ってみれば最低レベルの事件しかできなくなっているのに、まったくマスコミなどから批判されないまま、それがまかり通っているというのが現在の状況です。

 魚住さんは司法記者として検察を外から見てこられた人ですが、私は23年間検事として仕事をして、検察の中にいました。それだけに今の検察の状況については、驚きというか「絶望を感じるほど問題だ」と思っています。そこで、私の方からは「なぜ検察がこういう状況になってしまったのか」「日本の検察には組織としてどういう特徴があるのか」ということをお話ししたいと思います。

元検事の郷原信郎氏

 日本の検察は、刑事司法に関して全面的な権限を与えられているところに特徴があります。すべての刑事事件について、検察官は起訴や控訴をする処分権限を持っています。そして、検察官は「犯罪事実が認められる場合でも、あえて起訴をしない」という訴追を猶予する権限も持っています。この2つによって検察は、刑事司法に関して絶対的な権限を持っています。

 このような検察中心の刑事司法の仕組みは、殺人や強盗、薬事犯のようなアウトローによる犯罪、社会の周辺部分と言いましょうか、あまり社会生活や経済活動などに影響を及ぼさないような犯罪現象を前提として構築されたと考えていいと思います。

 殺人や強盗、薬事犯のような犯罪であれば、「反道徳的」「非倫理的」という社会の評価はもう定着している、あらかじめ決まっているわけですから、検察官は価値判断をする必要がありません。とにかく証拠があれば、起訴をすればいい。その証拠が不十分であれば裁判所が無罪にする、それだけのことです。

 ところが、例えばライブドア事件、村上ファンド事件のような経済分野の犯罪現象、今回問題になっているような政治資金規正法違反などの犯罪。こういった違法行為は、案件数としては限りない数、世の中に存在しています。その中からどの事件を選んで処罰の対象にするのかということに関しては、処罰する側、摘発する側の価値判断が求められています。

 ですから、そういう社会的、経済的、政治的に大きな影響を及ぼす事件については、検察官はそういう犯罪に対してどういう基準で悪質性や重大性を判断し、どういったものを摘発の対象にしていくのかについて明確な基準をあらかじめ示す、最低限検察の内部では明確にしておく必要があります。

 ところがそういった基準が明確にされないまま、一般の殺人や強盗のような事件と同じように、「犯罪がある限り、それを処罰するのは当たり前だ。検察は何をやってもいい」という考え方で、全面的に検察のアクションが容認されてしまうという、そこに最大の問題があります。

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