若者はなぜ生きづらいのか?――社会学者、鈴木謙介氏インタビュー(前編)2030 この国のカタチ(3/5 ページ)

» 2010年04月27日 12時56分 公開
[乾宏輝,GLOBIS.JP]

自分の不幸は社会のせい? それとも単なるワガママ?

 「社会が変えられない」ということに関して、全共闘の時代だったら「資本主義が悪い」とか、一昔前だったら米国主導のグローバリゼーションが悪いとか、割と単純なことが言えたと思うんです。けれどももう今は、「グローバリゼーションの波に快調に乗り、企業にも元気になってもらわないと、国としてもたないよね」という空気が醸成されつつある気がします。「そのための格差なら仕方ない。誰のせいでもないよね」と。この敵が特定しづらい感覚、あるいは「こういう社会でしかあり得ないんだ」という感覚について、どうお考えですか。

鈴木 まあもちろん、敵が見えればいいっていう話じゃないんですけれども、もともとそんなに敵というのは見えてなかったと思うんですね。つまり、社会運動が盛んだったとき、労働運動が盛んだったときも、自分たちの状況が苦しいことと、運動のリーダーが名指す「敵」とが、どのくらい結びついているのかということが、現場の人にはよく分からないことだったわけです。でも何となくそれでいいということになっていた。

 今は状況が本当に切羽詰まってきている中で、何をすれば自分たちの状況が改善するのかという、具体的なビジョンを持てないということが大きいと思います。つまり、明確に金持ちがいて、「金持ちの取り分をよこせ」っていう話ではなくなってしまっている。

 というのも、僕たちが望んでいる生活の質というのは、お金があればあるほど幸せになるというものではなく、何か実現したい目標や精神的な充足が得られる生き方のモデルがあって、そこにたどり着くための手段としてお金が必要だという順番になっているからですね。だからお金の問題だけではない。心の豊かさや幸せという欲求に対して、何を社会や政府に要求すればそれが実現するのか。その手段が見えにくい。

 「貧乏か金持ちか」と物差しが1つだったものが、物差しが多様化すると、いろんな不利な状況がフラットに並べられてしまう。すると、自分たちがその中で果たしてどのくらいの位置にいるのか、よく分からなくなるんですね。同じ「お金がない」ことで困っている人の中にも、異性をデートに誘う服が買えなくて困っている人と、学費が払えなくて困っている人がいる。こう聞くと学費の方が大事そうですが、学校に行きたい理由が、適当に遊んでいたいからという理由だったら?

 そうやって不利な状況を比較していくと、「自分たちも辛いけど、あんな苦しそうな人もいる」という風になり、どのぐらい自分たちの立場を主張していいのか。これはエゴなのかわがままなのか、それとも自分たちのポジションからすれば正当な要求なのか、うまく見えづらくなっている。これは結果的には、真面目で誰もが納得のいく「不幸さ」を抱えた人でなければ、社会に対して不満を言ってはいけないんだという風潮を生みます。

 もう1つは、情報の発信の仕方に問題があります。メディアが取り上げる“恵まれない人”が、非常に偏ってきている。具体的には地方の高齢者が圧倒的に多いですね。あるいは小さなお子さんを抱えた母子家庭であったり。

 こうした、物差しの多様化問題や、メディアに取り上げられやすい人々の声が大きくなるという状況の中で、みんな本当は苦しいのに、「お前なんかまだマシじゃないか」というような足の引っ張り合い的な争いを生んでしまっているのが現状だと思います。

先進国が共通に抱える生き方のモデルの崩壊

 なるほど。高度成長期は、そうはいっても貧しい人も、ある程度富める人も、今日よりも明日、明日よりも明後日が良くなるということで、自分の仕事をしている範囲で、日本社会全体が浮揚していくことに、どこかつながっていたような気もします。それが昨今ではつながりが途切れてしまった。これは日本だけの現象ではなく、ある程度の発展を遂げた先進国が共通に抱えている問題かと思うんですけれども、その中でも日本に特有なものがあるんでしょうか。

鈴木 そうですね。おそらく3つぐらい挙げることができると思います。そのうち1つは、世界で共通に起こったことです。戦後の先進国というのは、もともと第二次世界大戦で国土がほとんど焦土になってしまったので、その焼け野原から立ち上がっていく、“経済成長の伸びしろ”がたくさんあったんですね。

 その伸びしろに、どういう人たちがやってきたのか。それまで地方の農村なんかで働いていたような人たちです。つまり、これまで比較的恵まれていなかったような人たちが、第二次世界大戦後の経済成長の伸びしろに、大量の労働力として流入してくることによって、「ゼロがイチになる」という豊かさを手に入れるチャンスがあったということです。

 高度成長を前提にしたライフスタイルは、田舎から都会に出てきて、そこで出会った人と核家族を形成するというものでした。生活のベースは「男は仕事、女は家庭」の性別役割分業で、男は家族を食わせて一人前、女は専業主婦になり、家電の普及によって家事から解放されていくのが幸せというモデルがあり、子どもには親よりも高い教育を受けさせて、高い収入の仕事に就いてもらう。重要なのは、こういうスタイルが当たり前になったのは、たかだか1世代か2世代前からだということなんです。

 つまり、ほんの数十年の間に起こった出来事を、僕らは“普通の生き方”と認識してしまった。具体的には、「いい学校に入れば、いい会社に入れて、老後までいい生活が送れる」というものですね。今の若い人はそうしたモデルをあまり信用していませんが、それ以外の生き方を思い描くことができないので、どうしていいか分からない。いわゆる社会学でいうところのアノミーの状態に陥ってしまう。これは東アジアでは1990年代から、欧米でも金融危機をきっかけに盛り上がっている議論で、おそらく先進国共通の出来事だと考えていいと思います。

 少し細かい話をすると、1世代か2世代というのは本当に微妙なんです。1世代だけだったら、お父さんと子どもの違いだけで良かったんですが、2世代またいでしまうと、「おじいちゃんもお父さんもそうだったけれど、自分は違う」という形で、“普通”イメージが強化され、ますますモデルが見えにくくなってしまうんですね。

 おそらく今の30代以下、つまりポスト団塊ジュニアと呼ばれる世代だと、おじいちゃんぐらいから高度成長の恩恵に預かった世代ということになるので、なかなかそれ以外のモデルが見えにくいっていうことがあると思います。

 団塊ジュニアの一番上、1970年代前半生まれ、つまり今のアラフォーぐらいの世代ですと、親が昭和ヒトケタだったりして、まだ一身独立みたいなイメージというのを持ちやすい人もいるかと思うんです。ところが、2世代またいでしまうと、高度成長モデル以外の人生というのがイメージしにくい。これが1点目です。

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