ハリウッド・スターの光と影――マイケル・J・フォックスあなたの隣のプロフェッショナル(5/6 ページ)

» 2010年05月16日 20時52分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]
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芸能界をセミリタイア

 カミングアウトをきっかけにして、マイケルはパーキンソン病について深く知るようになったが、その内容は彼や家族を大いに勇気づけるものだった。

 端的に言って、パーキンソン病が不治である大きな要因は、研究予算が足りないことにあった。国立衛生研究所の研究費を見ても、患者1人当たりの見積り額は、HIV2400ドル、乳がん200ドル、前立腺ガン100ドル、アルツハイマー病78ドルに対して、パーキンソン病は34ドルに過ぎなかった。

 しかも学会の権威によれば、パーキンソン病はドーパミンを分泌する細胞が欠乏することによって起こることが既に判明していており、したがって、人工的にドーパミンを生成することで有効な治療ができるのだという。十分な研究投資さえすれば、遠からず治癒が可能になる病気だということが分かってきたのである。

 同じパーキンソン病と闘うモハメド・アリからは、こんなメッセージが寄せられた。

「きみもこの病気になったなんて気の毒だな。だけど、おれたちが二人一緒に闘えば、きっと勝てるさ」

 2000年、マイケル・J・フォックスは、続いていた人気シリーズ「スピン・シティ」のニューヨーク市長補佐役をチャーリー・シーンにバトンタッチし、自らは降板した。パーキンソン病と初めて診断されたときに「あと10年くらいは俳優としてやっていけるかもしれない」と医師に言われてから、ちょうど10年であった。

 これ以降マイケルは、俳優業を引退。時折、テレビ番組などにゲスト出演するだけとなる。

マイケル・J・フォックス財団を設立

 以降の彼の活動の重点は、マイケル・J・フォックス財団を設立し、パーキンソン病治癒を目的とした研究促進を図ることへとシフトするのだが、それに大きな影響を与えたのは、ランス・アームストロング(1971〜)だったようだ。

 ランスは、米国が世界に誇るサイクルロードレースの英雄である。この種目の世界最高峰である「ツール・ド・フランス」(毎年7月開催。連日約200kmを走破し、途中、ピレネー山脈やスイスアルプスを越え、約20日間の合計タイムで競う)において、前人未到の7連覇を達成した人物である(1999〜2005年連覇、2005年引退、2009年現役復帰)。マイケルがランスに会ったのは、ちょうど2連覇した直後であった。

 驚くべきは、ランスが、精巣・腹部・肺・脳のガンを克服して出場し、勝利したということ、そしてこの当時、すでに財団を設立して、ガン撲滅のための活動を展開していたのである。

 ランスに背中を押されたマイケルは、ゴールドマンサックスの副社長だったデビ・ブルックスを初め、各界から一流の人材をスカウトして財団幹部に迎え、「向こう10年以内にパーキンソン病の治癒方法を見つけること」を目標に活動を開始した。

マイケル・J・フォックス財団(http://www.michaeljfox.org/

 この財団の革新性は、マネジメントスピードの速さにあった。それまでの通例では助成金申請から1年もかかっていた手続きが、3カ月以内へと短縮された。しかも、最も有望そうな研究に狙いを絞って。

 マイケルたちがとりわけ強い関心を寄せたのは、胚性幹細胞研究だった。「胚性幹細胞は、体外受精された受精卵の受精10日後のもののうち、不妊クリニックで廃棄されるものから採取される。ピンの頭より小さいこれら何千という不要な細胞群は冷凍され、しばらくしてから、毎年、機械的に廃棄されている。ほとんどの細胞生物学者は、これらの細胞は、例えば脳細胞、腎細胞、骨髄細胞などのどれかひとつの生理的機能に限定されるには若すぎるので、逆に『万能性』を持っていると信じている。すなわち、これらは、人間のどのタイプの細胞にもなりえる潜在能力をもっているというわけだ。例えば、パーキンソン病患者の脳の黒質に入れられれば、これらの細胞はドーパミンを製造する細胞に進化できるというのだ」(『ラッキーマン』465〜466ページ)

 「これで治癒できる!」問題解決に向けて早くも光が射したかに見えた。しかし……・

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