精神的に大人であるための3つの条件ちきりんの“社会派”で行こう!(2/3 ページ)

» 2010年07月26日 08時00分 公開
[ちきりん,Chikirinの日記]

2.理解できないものがあると理解しているか否か

 世の出来事の大半はとても複雑で、そんなに簡単に何かが「分かった!」りしないものです。もし「分かった!」と思うことがあったなら、それは結局のところ「実は分かっていないから」なのです。分かっていないという事実を理解できないから「分かった!」と思うのです。

 「あの人はいい人だ」とか「あいつは悪い奴だ」と言えば、分かった気になれるかもしれません。しかし世の人は、「いい人」と「悪い人」に分かれたりはしません。人を含めすべてのものには「良い面」と「悪い面」があり、「良く見える見方」と「悪く見える見方」があるだけです。

 大人は「良い」「悪い」といった二元論的な区分が嘘であることを経験的、感覚的に理解しています。だから 「俺はまったく悪くない。悪いのはあいつだ!」というような、子どもっぽい考えを持ちません。

 また、世の中の大半のことに「正しい答えはない」と分かっているかどうかも、大人と子どもの大きな違いです。子どもが通う学校では「物事には答えがある」と教えます。「こうやって答えを出すのですよ」と指導し、答えが上手に出せるかどうか、テストをして評価までします。子どもは「答えがある世界」に住んでいるのです。

 でも大人は違いますよね。大人の住む世界には「正しい答え」はありません。 大人の世界で答えがすぐに見つかるのは「どうでもいいこと」だけであり、世の中の多くの「大事なこと」には答えがないのです。

 大事なことは、自分が何も分かっていないと知ることです。それが、「より理解したい」という動機ともなります。「分かった!」と思うことは思考の終着点(思考停止と同じ)を意味します。そう思った瞬間に、 その人の認識世界のサイズ(境界線)が確定してしまうのです。子どもの世界が狭いのは、すぐ分かった気になるからです。子どもって「ママ、僕分かったよ!」と言いがちですよね。

 大人になったのに“むやみな自信”がある人は、自分で狭い世界に境界線を引いてその中で生きている人です。それとは似て非なる“覚悟の自信”がある人は、自分が理解できない世界の絶望的な広さを認識した上で、「だからこそ自信を持つことが大事なのだ」と意識的に気持ちをコントロールしています。

 というわけで、大人への2つ目の階段を上る時、それは「世の中は思ったより複雑で奥深く、自分は何も分かってない」と理解できた時だと思います。

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