はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん(Twitter:@InsideCHIKIRIN)。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。
※本記事は、「Chikirinの日記」において、2008年8月23日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。
ちきりんは“子どもな人”が苦手です。 いい大人の年齢に達していても、精神的な態度や成熟度という意味で子どもっぽい人と一緒にいるととても疲れます。では、“大人である”というのは具体的にどういうことなのか。今回は独断と偏見による“大人の定義”を書いてみます。
誰しも不満なことや気に食わないことはたくさんありますよね。世の中では自分の思い通りになることより、ならないことの方が圧倒的に多いです。「誰かが大きな愛の傘で守ってくれている」という状況から一歩外に出れば、この世は矛盾と理不尽に満ちあふれています。
そういう時、自分の不満な気持ちをどう表すか。ここで大人と子どもの違いが現れます。子どもは不満を表現する方法として、“感情で表現する”という方法しか持っていません。典型的には「泣く」「ふてくされる」「すねる」などです。中学生くらいになると、「うぜーんだよ、ババア」などと悪態をついてみたり、物理的に暴れるなどして不満な気持ちを表現する人も出てきます。
大人でも自分の不満を感情でしか表せない人がいます。「俺は不満である!」ということを周りの人に伝えなければ気が済まない人です。子どものころに感情を垂れ流していたらママが問題を解決してくれた、そういう経験が忘れられないのでしょう。
次の2つのことに気が付くと、人はこういう態度をとらなくなります。
1つは「自分だけが不運で、不幸で、不満を感じているわけではない。ほかの大人はそんなことを感情的に垂れ流さないから、見えないのだ」ということ。
もう1つは「不満を感情的に表現することは、誰にとっても(もちろん自分にとっても)何一つメリットはない。それどころか大きな害がある」ということ。
この2つに気が付くと、人は不満を感情爆弾で表そうとは思わなくなります。大人への階段を1つ上る瞬間と言えるでしょう。
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