くう、ねる、そして――自然写真家、糞土師 伊沢正名さんあなたの隣のプロフェッショナル(3/7 ページ)

» 2010年08月07日 15時10分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

自然保護運動に失望し、自然写真家に転進、そして糞土師へ

 「40年前、私は自然保護運動に身を投じていました。ところが1973年、し尿処理場反対運動を見て、『市民=善』という価値観がいかに間違っているかに気がついたのです。自分たちだって毎日トイレに行って排便しているのに、何とまあ勝手なことを言っているんだろう! 『市民=エゴ』ではないのかと。

 その一方で私は『誕生→成長→死→分解→誕生』という地球上の生命のサイクルにおいて、その鍵を握っているのは、実は、土中における菌類による“分解”であると、今関六也先生から学んだんです。ところが、その重要性や素晴らしさに気づいている日本人はほとんどいない。

 そこで1975年から、自然保護運動に代わって、キノコ写真家への道を歩み始めました。キノコ、さらには、コケ、変形菌、カビなど、自然の片隅に追いやられている生物たちの姿をどんどん紹介してゆきました」

ALT 『きのこ博士入門』根田 仁、伊沢 正名

 伊沢さんの写真に見るキノコたちは、その形状といい、色彩といい、いずれも非常に美しい。何より、これまで見たことのないアングルからのものが多い。

 そう思って、伊沢さんの出された出版物のページをめくっていたら、次のようなくだりが目に留まった(『きのこ博士入門』p148)。

 「立ったままやしゃがんだ姿勢では、地面に生えているきのこは上から見下ろすことになり、これではきのこの本当の素晴らしさは見えてこない。思い切って地面に頭をくっつけて、きのこと同じ高さになってみよう。また、落葉や枯枝に生えているきのこならば、手に取って目より高くかざし、下から見上げてみよう。

 くすんでいると思っていたきのこの色は、たちまち光に透けて美しく輝きだし、ヒダや管孔などの精巧な作りに、新たな発見があるかもしれない。また、地面にへばりつくように生えていた小さなきのこは、緑の木々をバックにすっくと立ち上がり、大きな存在感をもって目の前に現れるに違いない。

 きのこは落葉や枯木を分解して土に返したり、樹木と共生してその成長を助け、森を作っている偉大な生き物だ。常にこのことを忘れず、単に形と色を写すだけでなく、きのこの生き生きとした姿を写真に捉えることを心がけよう。

 相手(きのこ)を自分よりも高く仰ぎ見ることは、自然に相手を尊敬する気持ちになれる。そして、それは相手の良さを発見することにもつながる」

 今まで見たことのないアングル・・・・その秘密は、まさにここにあった! いつ頃からそうなったのか、人間は得てして「鳥瞰図」的視点(bird's eye view)に立って自然を見下ろしがちである。しかし伊沢さんは「虫瞰図」的視点(insect's eye view)をも大切にしているのだ。

 全体を俯瞰的に捉える視点は時に必要だが、それだけでは個々の真実は見えてこない。むしろ自然界をコンロールするなどという「上から目線」の傲慢さにつながりかねない。

その一方で、地面を這う虫の視点に立つことによって初めて見えてくるものも多い。それは、自然界の偉大さへの敬意であったり、畏れであったりするだろう。鳥瞰図的視点と虫瞰図的視点とを使い分けることは、生物としての人間にとって必要であるだけではなく、グローバル競争を生き抜く現代のビジネスパーソンにとっても必要とされる能力である(参照記事)。伊沢さんはそうした重要なメッセージを、きのこを通じてさりげなく我々に教えてくれているのだ。

伊沢さんの写真は、ローアングルで下から見上げるようにきのこを撮った構図のものが多い

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