いったいどれが自分? 「“これも自分と認めざるをえない”展」(2/4 ページ)

» 2010年08月23日 08時00分 公開
[上條桂子,エキサイトイズム]
エキサイトイズム

 先に紹介した「指紋の池」を体験した後に出てくるのが、縄文時代の土版である。よく見るとそこには足形が付けられている。これは、昔は子どもの死亡率が高かったことから、子どもの足形を取っておくという習慣があったという。子どもの成長記録という面と、小さくして死んでしまった子どもの形見のような性質があったのだろう。足形という子どもの属性を残す習慣が、縄文時代からあったのだ。

 現在はカメラという機械があるから、人は一瞬の時間をフィルムに焼き付けたり、データに変換して所有することの方が多いだろう。顔も写されていないし、他の子と並べたら違いが分からなそうとも思われる足形だが、近しい人にとっては「確かに存在した」証なのである。

エキサイトイズム 属性のゲート

 「属性のゲート」という作品。手がけたのは、ユークリッド(佐藤雅彦+桐山孝司)である。セキュリティゲートのようなものがいくつかある。その上には「男性(MALE)/女(FEMALE)」「29歳以下(UNDER 29 Y/O)/30歳以上(OVER 30 Y/O)」「笑顔(SMILING)/無表情(BLANK)」という看板が掲げられている。最初のブースでは特に年齢や男女といった属性は登録していない。ここでは何を基に判定するのか。「見た目」である。顔認識の技術を使って、社会から自分がどう見られているのかがこのゲートで判定される。じっと見ていると、やはり年齢のゲートがみな気になっているようだ。

 「僕は男性ですから、MALEのところに行くと顔認識でゲートが開きます。当然ですよね。ところが、心の奥底では『自分は男性として許されたんだ』っていう気持ちになるんです。『ああよかった』って、そこでうれしい気持ちになるのがヤバいですよね(笑)」(佐藤氏)

 当たるか当たらないかは大きな問題ではない。でも、29歳以下のゲートが開いたときには軽くガッツポーズをしてしまった。そして、にーっと笑ったつもりが目が笑っていなかったのか「無表情」の烙印を押され撃沈。やはり結果で一喜一憂するのもまた楽しい。

 足元のナビゲーションに沿っていくと「属性の積算」という作品に辿り着く。これは、慶應義塾大学佐藤雅彦研究室の卒業生からなるユーフラテスと、ゲームデザイナー・アーティストの安本匡佑による作品。ここでは、先に登録したデータが役に立つ。

 身長計の前に立つと、壁に映る自分の影の上に名前が表示される。「●●または××または△△」といったように。この時点では、「自分」1人がそこにいるのにまだ「自分」ではないような気分、なんか変な気分。前にある体重計に向かって歩いていくと、さっき影に出た「自分であるような何かを示す文字列」が影にくっついてくる、これまたなんか変な気分。

 えいやっと体重計に乗る。すると、「●●」と名前が絞られる。ようやく「自分」になれたような気がしてホッとする。それもおかしな気分だ、それを体験しているのは最初から最後まで「自分」だけなのに。

 壁面にある写真作品は、アーリ・フェルスラウスとエリー・アウテンブルークという写真家が手がけた「Exactitudes」というシリーズ。4×3人の同じような格好、同じポーズをとった人たちのポートレートである。その似たような格好をしたグループごとにタイトルが付けられている。「Butcher」「Early Bird」「City Girls」「Praise」「Preppies」「New School」。

エキサイトイズム アーリ・フェルスラウスとエリー・アウテンブルーク「Exactitudes」

 これは作家が街を歩いている人を勝手にカテゴライズし、その服を着せて撮影したもの。「肉屋っぽい」とか「朝早く鳥がピヨピヨ鳴く公園を散歩していそう」など。ここでは、自分の本来の属性や「こう見られたい」という願望は置き去りになっている。しかし、他人からの見られ方なんてそんなものである。そんなことは分かっているが、いざ、人から「キミは○○っぽいよね」などといわれると腹立たしいと思う人も少なくないだろう。

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