光GENJIは不運だった!?――ジャニーズから学ぶ「マーケティング的発想」「半農半X」 ビジネスコンサルタントと、農業と……(2/3 ページ)

» 2010年12月10日 20時09分 公開
[荒木亨二,Business Media 誠]
誠ブログ

飽きられ始めた“昔ながらの男性アイドル”という商品

 男性アイドルはまず第一にイケメンでなければならず、踊りが上手で、歌唱力は置いておく。それが、1980年代の正統派アイドルに求められた姿である。

 この時代、アイドル活躍の場として重要だったのが日本テレビの「ザ・トップテン」とTBSの 「ザ・ベストテン」という2つの歌番組だった。毎週、ランキング形式で人気曲を紹介するため、レコードが売れていなければ出ることはかなわず、ここに出演することが「アイドルのアイドルたるゆえん」のような機能を果たしていた。

 そして、これらの歌番組はあくまでも“歌中心”に構成されており、MCとのトークはほんの少しだけ。アイドルは歌手である以上、トークや笑いのセンスは特段求められることはなかった。何せ、歌手なのだから……。

 アイドル黄金時代と呼ばれた1980年代、しかし1980年代後半あたりから、徐々にテレビの歌番組に変化の兆しが現れ始めた。ザ・トップテンが1986年に終了すると、次いでザ・ベストテンも1989年に終わり、ランキング形式の歌番組が消えていくことになった。これはアイドルの存在証明の場の消失を意味した。

 歌番組が消えた原因は、当然、数字が取れなくなってきたことが挙げられる。そしてその背景にあるのが男性アイドルという“商品”の魅力の低下もあったのだろう。ランキング形式では毎週同じ顔ぶれになることは避けられず、次第に消費者がアイドルへの飽きを感じ始めたのだろう。

 歌番組終了で困るのはアイドル本人たちもそうだが、芸能事務所はもっと困る。「商品=アイドル」なので、売れなければ意味がない。ここからジャニーズが動いた。華麗に、しかし着実に男性アイドルのマーケティングを開始した。

笑いもトークもやります! 変貌する男性アイドル像

 1980年代に歌番組が消えると同時に現れたのが「音楽バラエティ」という新たなジャンルだ。MCとのトークが長くなり、笑いあり歌ありと、歌だけではない人間性や内面性が問われ始めた。

 テレビの音楽マーケットが変わり始めたことを敏感に察知したジャニーズは、従来のアイドルとは異なる商品を世に出すようになっていく。1991年にSMAP、1990年代半ばにTOKIO、V6と、現在でも活躍するニューアイドルたちだ。彼らに共通するのは、男性アイドルでありながら最初からバラエティーを志向していたことにある。芸人やMCとの絡みが上手く、格好いいというアイドルの要素を残しながらも、トークには適度な笑いを交え、臨機応変にコントもこなすマルチタレントに近付いていった。

 各グループに個性を持たせたことも大きい。アイドルでも、TOKIOは楽器が弾けるロックバンドという位置付け。SMAPはバラエティ番組を中心に存在感を増していき、いつの間にか冠番組を抱え、MCを務める存在となった。ジャニーズはテレビが求める男性アイドル像に見合う商品をきっちり提供し始め、気付けば、歌番組が消えていっても生き残っていたどころか、さらに勢力を増していた。巧みなマーケティングが奏功したのである。

 かわいそうなのはこのマーケティング戦略からもれたアイドルたちだ。その筆頭が「光GENJI」である。光GENJIのデビュー当時の人気たるやそれはすさまじく、現在のSMAPや嵐の比ではなかったことは記憶に残っている。

 しかし、彼らは世に出たタイミングが非常に悪かった。1987年にデビューした時、すでに音楽マーケットには静かな異変が生じていた。1990年代に向けた胎動が見られたのだが、はっきりと感じられるほどのムーブメントではなかった。

 彼らは一気にアイドルの頂点に登りつめ、そして一気に凋落した。その原因は「歌で売れてしまった」こと。「歌が売れ過ぎた=昔の男性アイドル」として人気が出過ぎたため、バラエティ重視のマーケットとは折り合いが付かない存在となってしまったのだ。光GENJIは事務所に見捨てられたワケではないと思う。マーケティング戦略の修正がきかない次元にまで、歌で爆発的に売れてしまったのだろう。

 ほかにも不運な先輩はいる。ジャニーズのロックバンドとして、TOKIOの先輩格として1988年にデビューした「男闘呼組」。1990年デビューの「忍者」。彼らもマーケットの端境期にデビューし、歌中心で売り出したことが敗因だろう。時代はすでにトークや笑い、タレント性を求めていた。

 こうした先輩の失敗を間近で見ながら世に出たのが、SMAPやTOKIOだった。彼らは最初こそパッとしなかったが、お茶の間での人気を集めることに集中し、焦らずにバラエティを地道にこなしていった。やがて歌が売れ始める相乗効果が出始めると、あとは音楽とバラエティの両輪で着実に歩む。マーケティングの差が出てきたのだ。