「人間は強いですから」――復興にかけるトラックとコンビニの物語郷好文の“うふふ”マーケティング(2/3 ページ)

» 2011年04月07日 08時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]

山口さんが仙台で見たものは……

 トラック4台のローソンの先遣隊は3月13日3時に仙台に到着。市内はそれほど損壊していない。明るくなり、人の流れもできた。だが、みんなさまよっていた。目が血走っていた。山口さんは恐くなった。見る間にコンビニは次々とシャッターを降ろして閉まっていった。売るものが無いのだ。

撮影:山口裕詮さん

 ローソンの3月13日時点の店舗状況の↓の通り。

県名 店舗数 営業店舗数 休業店舗数
宮城県 165 46 119
岩手県 161 1 160
福島県 96 45 51

 岩手県はほぼ全滅、宮城県でも7割が休業、福島県は半分だ。過去の経験から被災後1週間は救援物資が不足すると分かっていた。何よりも救援物資の輸送が必要だ。救援物資輸送ではローソン宮城県対策本部、宮城県、山形県、福島県へ3月13日に10トントラック5台分、3月14日は3台分運んだ。

 一方、本来であれば東北への救援物資を送る拠点となるはずの関東の工場も被災し、停電もあったため十分な生産体制がとれなくなっていた。関西の工場には余力があったが、陸送ではオニギリの消費期限が怪しくなる。そこで3月14日、関西から青森空港と羽田空港に空路で運び、そこから陸送で八戸市と茨城市へ運んだ。3月15日も伊丹空港から空路で羽田空港までオニギリとパンを運び、福島市と郡山市まで陸送。さらに北海道工場からは船で青森県まで送り、そこから岩手県庁まで陸送した。寸断された交通機関をつなぐギリギリの物流作戦があった。

無料でも何度でも

 山口さんは仙台市にスクーターを運んだ後、横浜市在住の知人夫妻を探した。2人が出張で仙台市にいるのをFacebookで知っていた。被災しているに違いない。何十回も電話してようやく連絡がついた。彼らは3月11、12日とホテルに避難していた。もちろん新幹線もバスもない。「東京に戻りますが、乗りますか?」「ありがとう、助かった」。山口さんたちは3月14日未明、東京に戻った。

 トラックで帰京する道中、NHKラジオで地震被害状況を聴き続けた。その被害の甚大さに何度も涙がこぼれた。ハンドルが湿った。「私に何ができるか」「何ができるだろう」と自問した。次第に心が固まっていった。

 「無料でも何回でも、物資輸送しなければならない」

 もちろん原発は不安だし、被ばくの恐れもあった。家族のことも思った。だが、仙台市の情景とラジオからの悲惨な情報が、山口さんを突き動かした。やるしかない。戻った日からブログやFacebookで呼びかけた。

 「16日に仙台、大船渡に向かいます。緊急物資を募集します

 善意の物資が見知らぬ人、団体から集まった。事務所は一杯になり、倉庫にも積んだ。どこでも売り切れていたポリタンクもブログで呼びかけて集め、ガソリンや軽油、食糧を大船渡市などに届けた。

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