「遊びでもいいから本気でやってみろ」――高卒ロッククライマーから米国監査法人へ世界一周サムライバックパッカープロジェクト(2/3 ページ)

» 2011年04月19日 08時00分 公開
[太田英基,世界一周サムライバックパッカープロジェクト]
世界一周サムライバックパッカープロジェクト

日本には居場所がなかった

――ロッククライミングを始めたきっかけは何ですか?

安田 きっかけとは少し違うのかもしれませんが、子どものころにテレビで見たロッククライミングをしている人たちの挑戦している姿に感動したからです。

 最初にクライミングを見た時は「何て無謀なことをしているのだろう」と思っていました。しかし、ヨセミテ国立公園で実際に見た彼らの姿は、己の限界へ挑戦して行く勇気と覚悟、そして何よりも挑戦することの楽しさを全身で表現しているように感じました。

 その姿を見てから、ロッククライミングの虜になりました。

――どうして米国に飛び出したのですか?

安田 今思うと、日本に私の居場所がないように感じていたからだと思います。高校時代の私は非常に勉強が嫌いで、何とか高校を卒業し、フリーターをしていた私の将来に何も可能性を感じられなかったからだと思います。

 当時は、私自身で壁を作っていたと思うのですが、高卒の就職先は限られていましたし、何となく20年後にどんな生活をしているか予想できてしまう将来に納得できなかったからだと思います。

――米国に来て、一番の困難は何でしたか? また、どのようにして乗り越えましたか?

安田 言語や環境の違いに戸惑うことはたくさんあり、慣れるまでに時間がかかりました。ただ、それ以上に経済的に余裕がなかったので、大学の授業料を集めるのにとても苦労しました。

 少額の奨学金は学校からもらっていましたが、日本でアルバイトをして貯めたお金と、両親から借りたお金で授業料を払うのが精一杯で、留学中はたくさんの友人に支えられて生活していました。

 1万円前後で部屋の半分や、ウォークインクローゼットを間借りして暮らしていました。食事も多くの友人に食べさせてもらっていたので、私が米国の大学を卒業できたのは、まさに両親と友人のサポートがあったからだと思います。

――安田さんにとっての米国の魅力とは何ですか?

安田 年齢や過去の学歴にあまりとらわれないことだと思います。

 私が卒業した高校は商業高校だったので、大学への進学は難しかったですし、周りや私自身、「大学へ行くのは不可能だ」と思っていました。

 しかし、米国の人たちはいくつになっても自分が学びたいことがあれば学校に行きます。(米国の魅力は)今までの経歴に関係なく、挑戦できることだと思います。

――今後の予定や将来の夢(目標)について教えてください。

安田 入社して3年目なので、まだまだ今の私に足りない知識や経験を学ぶことが当面の目標ではあります。ただ、今後5年以内に、私の成長だけでなく、次の世代を成長させられるような監査チームのリーダーになることが目標です。

 世界で働く日本人の1人として、日本人の長所である勤勉さや賢さを世界に示せるような米国公認会計士として仕事をしていきたいと思います。

――最後に、日本の若者にひと言メッセージをお願いします。

安田 情報社会と言われる世の中で、「中学を卒業した時には自分の人生が決まってしまう」といった狭い世界を感じてしまう若者はたくさんいると思います。私も10年前には、まさか私が米国で働いているとは想像もできませんでした。

 自分で己の限界を決めず、自らの可能性を信じて下さい。やりたいと思うことには他人の価値観にはとらわれず、何にでも挑戦してみてください。きっと納得できる人生が過ごせると思いますし、何よりも本気で挑戦することは楽しいですから。

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