陸の孤島・雄勝町――津波に襲われた集落の姿相場英雄の時事日想・震災ルポ(3)(3/4 ページ)

» 2011年05月10日 08時00分 公開
[相場英雄,Business Media 誠]

ブルーシート

 4月9日午後、筆者は石巻市街地を発ち、雄勝町を目指した。石巻日日新聞では、同地出身の若手A記者から行程は厳しいと聞かされていた。

 市街地からほんの10分ほど離れると、A記者の言葉が現実のものとなった。国道は至る所で陥没し、段差が目立ち始める。筆者の自家用車は車高が低いので、車内で大揺れしながらも先を急いだ。

 30分ほど走ると、北上川のあぜにたどり着いた。砂利道に大型車のわだちができているので、立ち往生するかもしれない一番の難所と言われていた地域だった。しかし、杞憂(きゆう)に終わった。北上川は一部が決壊したが、自衛隊の迅速な復旧作業のおかげで土手沿いには新しい道ができ上がっていたのだ。しかも、鉄板が敷かれている。車高の低い愛車でも十分に通行が可能だった。

 しかし、油断すると足をすくわれる。当日は雨が降りしきっていた。加えて視界も悪い。案の定、何度もスリップした。慌ててカウンターをあて、なんとか体制を立て直した。鉄板から外れれば、ほんの数メートル下に北上川が迫る。車両が転落しては元も子もない。多忙な自衛隊の手を煩わせるわけにはいかない。

 慎重に運転を続けた。雪国育ちで滑る路面での運転に慣れていなければ、筆者は間違いなく北上川に沈んでいた。土手沿いを15〜20分ほど走る間、路肩やがれきの脇に広げられたブルーシート、これが飛ばぬよう固定する石、あるいは流木を見た。数えると、4つあった。

 さらに5分ほど走ると、路肩に宮城県庁のライトバンが見えた。ヘルメットをかぶった職員が荷台からブルーシートを取り出した。バンの脇を通り過ぎると、自衛隊員と宮城県警の捜査員5〜6人の姿があった。県職員が彼らにブルーシートを手渡すと、県警捜査員が合掌したのち、シートを地面に置いた。

 この瞬間、筆者はまた息を呑んだ。

 ブルーシートは、震災犠牲者の亡骸だった。震災から約1カ月。だが、被災地ではいまだに死が身近にあるのだと思い知らされた瞬間だった。

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