やがてカーナビが雄勝の中心部に向かうよう、右方向への急反転指示を出し始めた。モニターの住所表示は「釜谷」。このとき、午前中に石巻日日新聞で聞いた同地の悲劇を思い起した。児童108人のうち、7割が死亡、行方不明となった市立大川小学校の近所だったからだ。
筆者は路肩にクルマを停め、周囲の風景を見回した。かつて地元民の生活があったであろう宅地、そして田畑に向けて手を合わせた。
クルマに乗り込もうとしたとき、某民放の四駆が筆者の近くで急停車し、近隣の仮設トイレに向かっていた地元民にマイクを向け始めていた。いたたまれなくなった筆者は、愛車を急発進させた。
→続く。
大津波で崩れ去った石巻市――そこで見たものは
誰のための取材なのか 大手メディアと石巻日日新聞の違い
被災者はワイドショーの素材ではない――報道被害の声を紹介するCopyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.
Special
PR注目記事ランキング