ソーシャルビジネスからエヴァの缶詰まで、広がる“おいしい”保存食の活躍(後編)嶋田淑之の「リーダーは眠らない」(3/5 ページ)

» 2011年07月22日 08時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

沖縄進出で役所の前例主義を打破した、交渉の極意とは?

 新潟県中越地震をきっかけに、パンの缶詰は災害備蓄用非常食として一挙に名をあげる。パン・アキモトのもとには、全国各地から引き合いが殺到して、那須塩原の工場だけでは到底、生産が追いつかない状況になっていた。

那須塩原工場での生産の様子

 「沖縄県うるま市から工場進出の誘致を受けましてね。現地の製造環境も良く、また私自身、沖縄が大好きということもあって(笑)、沖縄に工場を出すことを決めました」

 即断即決した沖縄進出だったが、実はそこからが大変だったようだ。

 「いざ沖縄に進出しようとすると、今度は先方の役所がなかなか動こうとしないんですよ。『その件なら、2カ月後に開かれる審査会で採否が決定します』といった具合で、手続き1つ1つにイチイチ時間がかかるんです。そんな調子では、一体いつになったら沖縄で操業を開始できるのか、まったくメドも立ちません。こっちは増産体制を整えることが、待ったなしの状況にあったわけですから、すべて先方のペースに合わせていては大変なことになります」

 すべてにおいて前例主義を採る役所の壁をどうやって突き崩していくか? 今でも多くの経営者やビジネスパーソンにとって頭の痛い問題だ。

 「私のモットーは“前例がないからやってみよう!”なんですがね……。役所はその真逆なので、いささか骨が折れますよ」と秋元さんも苦笑する。

 秋元さんは結果的にそうした前例を次々に打ち破ることに成功したわけだが、その成功要因は何だったのだろうか? 難しい交渉にどういう姿勢で臨んだらよいかなど、秋元さんのスタイルをお聞きしたい。

 「私の場合、大学時代に英語弁論部(ESS)に在籍し、ディベートをやっていたので、話の筋を通すということには多少慣れていたかもしれません。

 1980年代に行政改革で鳴らした土光敏夫さんの講演をお聞きする機会に恵まれたのですが、土光さんのお話の中で『正しきものは強くあれ』(土光氏の実母の教え)という言葉に特に感銘を受けて、以来、私自身も正しいと確信していることを述べる時には、正々堂々と振る舞うようにしています。沖縄進出の際も『そうすることが沖縄県民のみなさまのため』という点を明確に主張し続けました。

 ただ、気を付けなければいけないのは、いくら正論だからといっても、相手を完膚なきまで叩きつぶすと『窮鼠(きゅうそ)猫をかむ』という事態になりますし、相手の立場に対する一定の配慮は当然、必要だと思います。

 もう1つは、普段から人と人とのつながりを大事にして、いざという時にはそれを有効活用させていただき、人に動いてもらうということでしょうか?

 私はよく『気楽に頑張れ』と言います。一見矛盾した表現ですがその意味は、自分が頑張るのは当たり前のことで、それでもどうにもならない時に気楽にSOSを出せるような環境を普段から作っておくことが大切だということです。要は『あいつのために何とかしてやろう』と思ってもらえるような、普段からの頑張りと人間関係作りですね。

 さらに言えば、いざとなったら自分が責任を取るという姿勢を常に明確にすることと、『走りながら考える』というスピード感でしょうか」

 こうした姿勢を貫くことで、秋元さんはいち早く沖縄工場の操業を開始できたわけだが、それが可能になったファクターとして、私はもう1項付け加えておきたい。それは、秋元さんが長年にわたって、社長業とは別にメディア関連の仕事にも携わっていることだ。

 経営者やビジネスパーソンは、プロとしての専門性を追求していく過程でしばしば視野狭窄に陥りがちだが、記事を書くレポーターとしての活動が、秋元さんに大所高所からモノを見る視点を常に与え続けていたことは重要だろう。そのことは本連載でもインタビューした西山温泉慶雲館の第52代当主・深澤雄二さんが政治家として長年活動したことで経営の視点を広げたことと共通する。

トラックの空便利用のアイデアで救缶鳥プロジェクト誕生

 沖縄工場の操業も軌道に乗り、社会のニーズにも対応できるようになった秋元さんは保存食リユース・システムの完成に鋭意取り組んでいく。

 37カ月の賞味期限を持つパンの缶詰を、企業や自治体、学校などに災害備蓄用非常食として購入してもらう。幸いにして地震や豪雨被害などの災厄に遭わなければ、2年後に新しい缶詰への入れ替えの案内を出す。それに応じてくれた顧客には、一定額のディスカウントをして次の2年分を届けるとともに、それまで備蓄していた缶詰を回収する。回収した缶詰は、主として海外の飢餓に苦しむ地域や、災害によって大きな被害が出ている被災地へと届ける。

 このシステムは大口の企業や役所、学校や団体などに多数採用され、各方面でパンの缶詰の備蓄が進んでいたが、秋元さんとしては小ロットでもそれができるようにして、個人客の参加をうながしたいと思っていた。

 しかし、それを実現するためには、小ロットの回収でもいとわず廉価で引き受けてくれる大手運送会社の協力が不可欠だ。ところが……。

 「何度交渉しても断られました。先方としてはこれまでに経験のないことですし、何より自社としてのビジネス・メリットが感じられなかったのでしょう。それで私たちとしても、一体どうすれば運送会社のメリットを創出できるか必死で考え続けました。

 そして思いついたんです。『運送会社のトラックって、帰路は要するに空便でしょ。だったら、その空便を使わせてよ。少しお金も払うから』というのはどうだろうと。そして、この新しいビジネス・モデルでもう一度交渉に臨んだのです。それでようやく小ロットの回収が可能になりました」

 保存食リユース・システムを小ロットの個人客にまで拡大した救缶鳥プロジェクトは、こうしてヤマト運輸の協力を得た末に完成した。2010年2月のことであった。

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