ソーシャルビジネスからエヴァの缶詰まで、広がる“おいしい”保存食の活躍(後編)嶋田淑之の「リーダーは眠らない」(2/5 ページ)

» 2011年07月22日 08時00分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

ついにパンの缶詰が誕生! したものの……

 「パンを缶詰にするためには無菌状態を作り出さないといけません。そこで最初は、焼いたパンを消毒した缶に入れようとしたのですが、そのやり方ではダメでした。だったら、いっそのこと、パンの生地を缶に入れた状態で缶ごと焼いてしまおうと考えたんです。

 ところが、それをすると今度は結露してしまい、ふやけたパンが缶の内壁にベッタリとくっついてしまうんですね。試行錯誤を繰り返した結果、缶の内部に紙を敷くという解決策を編み出したのです。

 そのヒントをくれたのが日本家屋の障子です。障子は湿度の高い日本で、室内の湿気を調節する機能も果たしてきたわけですが、缶内に敷いた紙がそれと同じ機能を果たし得ると考え付いたのです。和紙では探せなかったのですが、幸いなことに良い紙が見つかり、パンのしっとり感を保ったまま、無菌状態で長期保存することが可能になりました」

パンを包む紙が長期保存のポイント

 阪神・淡路大震災から約1年がかりで開発に成功したパンの缶詰であったが、当初は“面白グッズ”としか見られず、あまり売れなかったという。「毎年、9月1日の防災の日にだけよく売れましたよ」と秋元さんは苦笑する。

 そんな状況を一変させたのが、2004年10月に発生した新潟県中越地震だった。

 「地震発生直後にパンの缶詰を持って現地入りしました。被災から1週間で現地の学校は授業を再開したのですが、給食施設が被害を受けていて、パンの缶詰が給食として出されたのを初め、山古志村など多くの地区で被災された方々に食べていただけました。お役に立てた喜びは大きかったですね」

 しかしその一方で、すでに災害用非常食としてパンの缶詰を備蓄してくれていた自治体から「新しいものを買いたい。賞味期限の切れるものは処分してほしい」との要望を受け、秋元さんは、非常食の宿命とも言うべき廃棄の問題に行き当たり、思案に暮れていた。

 そんな折、新潟県中越地震からわずか2カ月後、今度は、インドネシアのスマトラ島沖で大地震が起き、大津波が発生。秋元さんは被災地スリランカの政府関係者から「現地では食べ物が不足している。中古でいいからパンの缶詰を送ってほしい」という要望を受ける。

 それを聞いた瞬間、いずれ廃棄される運命の非常食としてのパンの缶詰を、海外の被災地や飢餓地帯に送ることで生かすことができるのではないかと閃く。救缶鳥プロジェクトのベースとしての保存食リユース・システムのアウトラインが、ついにその姿を現わしたのである。

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