原発事故でも「相馬魂」は消えない――東北六大祭り・相馬野馬追と一時帰宅東日本大震災ルポ・被災地を歩く(3/5 ページ)

» 2011年09月03日 21時42分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]

「学校が避難所になっているから、まさか」

 母親のフサ子さん(42)も野馬追の神事に臨んだ。震災当日は三男の卒業式だった。

 「震災当日は三男が中学校の卒業式。朝、私が三男を送っていけないので、お兄ちゃんにお願いをした。特に変わったことはなく、『いってらっしゃい』と言っただけ。お兄ちゃんは『いいよ』と。そんな会話くらいで終わった」

匠馬さんの母親のフサ子さん。遺影は成人式のときの写真

 卒業式の後、子どもの携帯電話とコンタクトを買いに浪江町に行った。その時地震があり、実家に電話をしたが通じなかった。「津波が来る」。そう思って、避難所に向かった。

 「地震があった時、学校が避難所になっているから、まさか解散となるとは思っていなかった。学校から出て行くとは思っていなかったので、安心していた」

 三男と一緒に避難所で過ごしたフサ子さんは、匠馬さんよりもむしろ保夫さんの身を案じていたという。各地の避難所を回った結果、保夫さんには会えた。フサ子さんは「よかった」とほっとした。しかし、匠馬さんは学校を出た後、祖父母の家に向かってしまった。

 フサ子さんは学校の対応にも不満を思っている。どうして生徒を解散させたのか。学校に尋ねても、形式的に「すみません」としか返ってこない。そのためもあり、学校には匠馬さんの卒業制作があるが、行く事ができないでいる。

規模縮小で「物足りない」「寂しい」

 例年とは違い、規模が縮小された野馬追を見に来た人たちも様々な心情を抱いていた。鈴木亜由美さん(23)、佐々木美佳さん(23)、佐藤千尋さん(24)は、中学時代の同級生で「物足りない」と口を揃える。避難生活で連絡がとれない友達が多い。

 鈴木さんは新潟へ避難し、現在は南相馬市鹿島区で生活している。佐々木さんはいとこがいる北海道へ行ったが、相馬市に住んでいる。佐藤さんは今でも、母親の節子さん(54)の実家がある喜多方に避難中だ。鈴木さんは「原発さえなければ帰れる。帰りたい」と漏らしていた。

右から鈴木亜由美さん、佐々木美佳さん、Aさん、佐藤千尋さん、佐藤節子さん

 この4人と一緒に写っているのは、騎馬武者のAさん(33)で、原発の作業員だ。福島第一原発の2号機と3号機の建て屋の間を歩いていた時に地震にあった。

 「ちょうど作業が終わって、外に出て来た時に地震があった。そして、地震がおさまったときに、避難した。一時、原発に取り残されたが、避難できた」

 爆発するまでは小高区におり、その後は、猪苗代、そして喜多方へ避難した。家族は今も喜多方にいるが、Aさんだけはいわき市内のホテルにおり、原発で作業を行っている。

 例年と違った小規模の祭りについては「本来なら馬に乗り、競馬もするが、ちょっと寂しい感じがする」と話していた。

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