原発事故でも「相馬魂」は消えない――東北六大祭り・相馬野馬追と一時帰宅東日本大震災ルポ・被災地を歩く(1/5 ページ)

» 2011年09月03日 21時42分 公開
[渋井哲也,Business Media 誠]
福島県相馬地方の野馬追は東北六大祭りの1つ。色とりどりの甲冑や旗、騎馬がきらびやかな神事だ(出典:相馬野馬追執行委員会サイト)

 福島県相馬地方は、馬と人が共存する町だ。公道を馬が歩き、赤信号があれば立ち止まる。それを誰も不思議に思わない。

 この地で行われる「相馬野馬追」(そうまのまおい、参照リンク)は、1000年以上の歴史を持ち、東北六大祭りの1つにも数えられている、国の指定重要無形民俗文化財だ。もともとは相馬氏の遠祖である平将門が、領内に放した野生の馬を敵に見立てて軍事訓練を行ったのが始まりと言われている。相馬の人々は、野馬追の準備に1年を費やす。野馬追となれば、地元の男性たちは先祖伝来の甲冑に身を包み、旗差物を背負って馬にまたがり、一堂に集まるのだ。

 毎年7月23日、相馬中村神社で厳かに出陣式が行われ、総大将をお迎えした後、進軍を開始する(宵祭り)。翌24日は本祭り。総勢500騎あまりの騎馬武者たちが、相馬太田神社を出発し、3キロ離れた雲雀ヶ原を目指して騎馬行列を行う。雲雀ヶ原は合戦場だ。ここでは甲冑競馬が行われ、戦国絵巻のような光景が繰り広げられる。これが祭りのクライマックスだ。25日には小高神社で「野馬懸」が行われる。御小人とよばれる数十人の若者たちが、白鉢巻に白装束で馬の群れに飛び込んでいく。神のおぼしめしにかなう馬を捕らえ、神馬として神社に奉納すると、3日間の祭りの幕が下りる。

 3月11日に東日本大震災が起こり、さらに東京電力福島第一原子力発電所の事故が起きた2011年。福島第一原子力発電所の近くに位置する相馬地方(相馬市、南相馬市)では、今年も野馬追が実施できるのか協議が続いていた。特に南相馬市は、警戒区域、緊急時避難準備区域が設定され、市が3分されている状態だ。しかし野馬追は相馬の人たちにとっては心の支えであり、1年で最も重要なイベントである。規模は縮小するが、例年通り7月23〜25日に実施すると決まった一方で、町全体が警戒区域に設定されている南相馬市浪江町の人たちの一時帰宅も、この時期に行うと決まった。

野馬追を支えるのは「相馬魂」

 相馬野馬追は毎年、23日の宵祭りは相馬中村神社(相馬市)で、24日の本祭りは相馬太田神社(南相馬市原町区)で、25日の野馬懸は小高神社(南相馬市小高区)で行われる。例年は古式の神事を始め、行列や神旗競争などが行われるが、今年は神事のみに縮小。また小高区は警戒区域のため、原町区の小高神社ではなく、多珂神社で行われた。

 今年も、毎年のように野馬追を楽しみにしている人が多く訪れていた。長年、地元で過ごす人の中には、「相馬魂」が生き続けている。その一端を感じることができる人に出会ったのは3月28日だった。南相馬市原町区上渋佐の照崎神社前で、掃除をしていた渋佐良雄さん(78)だ。

 「(近所には)誰もいないぞ。逃げたんだ。俺ぐらいだよ、いるの。俺、この村で死ぬ気で住んできたんだもの。いい加減じゃないぞ。みんな、ここを放棄した。でも、俺はおるつもり。みんな13日から15日ぐらいになったら逃げていく。どこさ逃げていくんだ、って」

3月末、原町区上渋佐の照先神社で出会った渋佐良雄さん

 上渋佐はJR原ノ町駅から、県道263号線を通じて東へ至るところにある。私が訪ねた日、周囲では警察や消防団が行方不明者の捜索活動をしていた。民間人が自身の家族を捜す姿もあった。

 「ここに250戸くらいあんだよ。でも、(人が)どこにもいねえんだよ。ま、10人くらいいっか。(原発事故前は)約800から900人いたんだよ。他の人には『戻ってくるのか? 戻ってくるなら、逃げずにいろ』と言った。来ねえならいいよ。鉄砲玉みたいにして行けばいい。来るんだべ。来るなら、いろ、と」

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