――古川さんは宇宙飛行士になることの夢を実現するために、何年もの月日を費やしたと聞きました。また医者になるためにたくさんの勉強をされ、地位や名誉を得られたと思います。それらをリセットし、宇宙飛行士を目指そうと思われた強い思いを聞かせてください。僕は今、中学2年生ですが、将来やりたいことがたくさんあります。
古川:僕は「宇宙で仕事をしたい」という強い気持ちがありました。宇宙飛行士の試験にはたくさんの優秀な方々が応募してくるので、受かる可能性は低いと思いましたが、万が一、受かるとそれまでの生活がすっかり変わってしまう。だけどここで挑戦しないで、後で後悔したくなかったんです。できる限りのことをやって、それでダメなら仕方がないなあという気持ちで挑戦して、幸運にも選ばれました。
「将来、やりたいことがいろいろある」とおっしゃいましたが、それはすごくいいことですよね。「こんなことをしたい」「こんなふうになりたい」――そういう夢を持ち続けて、それに向かって努力し、一歩進みだしてください。そのときにどんなふうにしたら夢に近づけるのか、ということを考えることが大切なのではないでしょうか。
夢を持ち続け、それに向かって努力を続けていれば、きっとその夢はかなうんじゃないかと思っています。
――一番大変な訓練は何でしたか? キツイときにはどんなことを考えていましたか?
古川:体力的に一番きつかったのはロシアの冬で行ったサバイバル訓練です。ソユーズカプセルは3人乗りで、カザフスタンに降りるのですが、何か問題があったときには急いで降りなければいけません。真冬の雪の中に降りなければいけないという想定で、雪の中に降りました。宇宙船は発信機が付いているので降りた場所は分かるのですが、救助隊がすぐに来れないことがあるので、3人で力を合わせて生き延びるという想定で訓練を行いました。
私は外の寒い中で48時間過ごしました。気温はマイナス20度、風も強く、ものすごく寒かったです。ストーブにあたることもできませんでした。宇宙船の中にあるサバイバルキットから斧やナイフを持ち出して、近くの森で木を切って、焚き火をしました。
夜。私はどこででも眠ることができるのですが、そのときは寒さのために眠れないという経験を初めてしました。
そんな大変な訓練でしたが、精神的に鍛えられました。私は元野球部だったのですが、大変なときには野球部の練習を思い出しまます。野球部の練習もやっているときにはものすごく大変だったのですが、終わってみると「たいしたことはなく、大丈夫」と考えていました。そのときと同じように訓練中も「大丈夫だ」と自分に言い聞かせました。
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