警戒区域内でも、毎日のように餌をやりにくるのはエム牧場くらいだ。そのため、お腹を空かせた牛たちが牧場に迷い込んでくる。
その逆もあるという。震災前は電気の通っていた柵が牧場の周囲にあったが、震災後は電気が通じていない。そのため、柵を壊して、どこかへ行ってしまった牛たちもいる。この日も、牧場から出ている牛を見ることができた。
また、以前、牧場に訪れた時に死んでいた牛たちはすでに白骨化していた。当時、ここで死んでいた牛たちを撮影しようとすると、ほかの牛たちがやってきて、私を取り囲んだ。しかし、この日は撮影しようとしても、どの牛も見向きもしなかった。
ちなみにエム牧場の水飲み場は、APF通信社(山路徹代表)のカメラで24時間、USTREAM中継されている。
その水飲み場の近くにあるトラックの荷台には「希望の牧場」という文字が書かれていた。
実は6月上旬、「希望の牧場〜ふくしま〜Project」という支援プロジェクトが立ち上がっていた。警戒区域内の牛たちは被ばくしている可能性が高いため、殺処分する方針が決まっていた。
しかし、殺処分に同意した畜主は全体のわずか3分の1。「こうした動物たちを生かす方法はないか」を探っていたところ、「放射能災害の予防への貢献という学術研究目的なら可能ではないか」ということになった。
「これまで国は、生き残った牛は殺処分するべきと一辺倒だった。しかし、殺処分はさせないし、研究調査することが復興にもつながる。本当にダメなのか? 可能性はないのか? やってみないと分からない。殺処分は証拠隠滅のようなもの。それをどうにか踏みとどまらせる必要がある。こんなものは世界には例がない。全頭抹殺はいけない。(訪れた国会議員も)見てくれた人は分かってくれると思う。認めてもらえるまでがんばる。牧場の周囲の人たちだって、いつかは帰りたい。そのためにはどうするのか。自分たちで除染するしかない。国や自治体は、待っていてもやってくれない。俺たちが先頭に立ってやろうということ」
そう話す吉沢さんは震災当初、原発事故で“絶望”を味わったという。しかし、この希望の牧場〜ふくしま〜Projectによって、新たな光が見えてきた。吉沢さんは「ベコ※屋の意地」という言葉を繰り返していた。その意地で取り組んできたことで、実現に向けての動きが出てきたようだ。
最後に吉沢さんは近くの酪農家の牛舎も案内してくれた。牛舎内には、牛の死骸が並んでいた。首輪でつながれていて、飼い主が逃げ、餌も水もなくなり、牛が餓死していく様子が想像できた。別の牛舎では、すでに内部がほかの動物によって荒らされていて、骨が無造作に散らばっていた。
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