連載
» 2011年11月08日 08時00分 公開

インターネットが助けに――競輪トッププロから米国の自転車職人へ世界一周サムライバックパッカープロジェクト(2/3 ページ)

[太田英基,世界一周サムライバックパッカープロジェクト]
世界一周サムライバックパッカープロジェクト

日本と米国の違いは

――自転車に乗る側から、作る側・売る側になっての変化や気付きはありますか?

 製作する側になって、競輪選手時代は無理な注文を当たり前のようにしていたことを反省しています。反面、その厳しい注文に正確に答えてくれた日本のフレーム製作者の技術力の高さには驚かされます。

 日本のハンドメイドメーカーには、緻密な工作や精度、仕上げが要求されますが、米国では芸術的な装飾や、新素材を使用した製品が喜ばれるようです。細かい仕上げは、あまり要求されません(高度な仕上げを見たことがない人が多いようです)。しかし、やはりきれいな仕上げが施された製品は、洋の東西を問わず喜ばれます。

――なぜ米国に渡られたのでしょうか?

 妻が、日本社会では米国人女性が企業の中で活躍できないことや、私たちに2人目の子どもが生まれてから日本での子育てに不満が募り、米国に戻ることを決心しました。家族が太平洋を隔てて生活するわけにもいけませんから、あまり難しいことを考えず、思い切って飛び込んだ次第です。

 当時40歳でしたから、年齢の区切りも良く、競輪選手としての気力は充実していましたが、体力の衰えは感じていましたので、「今行かなくて、いつ行くんだ?」という心境でした。

 最後まで、全力でレースを走りましたが、競輪選手を引退することには未練がありました。燃え尽きるまでレースを走りたかったですが、「余力を残して引退しないと、次の仕事ができない」という考えもありました。

――もともと海外で働きたいという志向はお持ちでしたか?

 米国で働きたい、生活したいという憧れはありました。しかし、ただの憧れですね。子どものころに見た映画『コンボイ』で、米国大陸の大きさに魅了され、学生時代はアメ横でアメリカンファッションに影響されていましたから、米国に憧れはありました。

 その一方、博多の祭りの中で育ち、中学生のころから体育会系で育っていますから、先輩後輩のややこしい社会関係も苦になりません。むしろ、日本の文化は大好きです。

――米国と日本の違いをどういった部分で感じてらっしゃいますか?

 日本は、日本の文化!という決まったものがあります。しかし、ヒューストンは世界中からの移住者が、ごちゃまぜになって暮らしています。従来からの米国文化をベースに、自国の文化をアレンジした人々の集まりです。ひと言では、言い表せません。

 移民1世は民族による傾向は感じられます。顔付きや言葉遣いにより移民1世かどうかを判断し、それによって相手の行動を予測する部分はあります。

 米国人は、みんな良くしゃべります。知らない者同士でも、すぐに長話になります。このコミュニケーション能力の高さが、社会の潤滑油になっている気がします。ものすごくプライベートな話も、平気でします。結果、心のストレスも低いようです。

 自己主張は強いと言われますが、一般の生活ではそう感じません。思いやりや譲り合いの精神は、非常に高いです。

――現在の仕事で、大切にしていること(考え方)を教えて下さい。

 「私は、日本人なんだ」ということを常に意識しながら、誇りを持って仕事をしています。日本人は頭が良く、完璧な仕事をするというイメージがありますので(あるらしいので)、自分で勝手にプレッシャーを感じて苦しいこともあります。しかし、日本の一流工業製品のおかげで、胸を張って日本人と言えることに先人へとても感謝しています。

――米国の変わった商習慣があれば教えてください。

 近年は減ってきたとはいえ、個人小切手をスーパーでもどこでも使えることですね。また、例えば不動産売買契約書は一応ひな型がありますが、ほとんどオーダーメイドのような自由な契約を双方で作り上げます。決済の方法なども、いろいろな方法があるのに驚かされました。これは個人の住宅の売買でも同じです。

 また、各従業員の責任で任されている範囲が大きく、やりがいを感じやすいと思います。例えば、正札が外れてしまった商品の値段設定をマネージャーなしで新入社員が決めたり、高校生のアルバイトが遊園地内でクルマを運転してツアーガイドをしたりします。さまざまな事業計画も綿密ではなく、穴だらけですが、想定外のことが起こっても、想定内かのように解決する能力が高いです。

 よほど大きなお金が動く業種以外では、家族の用事で堂々と早引きなどのスケジュール調整ができます。社員同士がお互いに仕事を融通しあって、休暇を取っています。夜に仕事先や同僚と飲みに行くことは、まずありません。

――米国に来て、一番の困難は何でしたか?

 英語に始まり、英語で終わるといった感じです。できるだけ多くの人と話し、机に向かって単語を覚え……と当たり前のことを、当たり前に気長にトレーニングするしかありません。

 移住当初に通った米国のカレッジの英会話講座の先生から、「英語能力が高まることによって、収入が高まる」と言われました。その通りです。よほどの特殊な才能や技能がない限り、英語力は絶対です。

 「もっと英語力があれば、私が活躍できる場も広がるのに」と思いますが、これが英語圏での自分の実力だと理解しています。そういった意味での忍耐力も必要ですね。このことは、移民の人は良く口にします。

 「インターネットネットで疑問を解決」と話しましたが、フォーラムはすべて英語です。世界中の英語圏のビルダーが情報を交換し合っています。でも苦しくても、英語は大きなツールです。

 英語圏旅行者が「英単語を並べれば意志の疎通はできる」とよく言いますが、私はそうは思いません。発音が悪ければ、何回言っても通じません。発音は、想像以上に重要です。その発音に、お国なまりがあってもいいんです。中学生の時に習ったように、舌をはさむ発音の時は、面倒でも舌をはさみ、口を横に開く発音は口を横に開かないといけません。そうやって発音すると、米国人の発音と似ていないように感じても通じます。

Copyright© SAMURAI BACKPACKER PROJECT Inc. All Rights Reserved.

アクセスランキング
  • 本日
  • 週間

    Digital Business & SaaS Days

    - PR -