なぜマスコミは“政治家の言葉狩り”を続けるのかちきりん×中田宏、政治家を殺したのは誰か(3)(4/5 ページ)

» 2012年01月13日 08時05分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

マスコミは国民の代表

中田:僕は、マスコミというのは、つくづく国民の代表だなあと思っています。なぜかというと、国民が入れない場所に記者は入れることができるし、取材相手はどんなに忙しくても、基本的には記者会見に応じなければいけない。

 僕が横浜市長を務めていたとき朝から晩までものすごく忙しかったのですが、週1回定例記者会見は欠かしませんでした。なぜかというと、横浜市長という立場として、市民に説明責任があるから。かといって市民が自由に入れるわけではないので、記者が国民を代表して、話を聞きに来ているということです。

 そうした関係が成立した上で、マスコミは権力者をチェックするという重要な責任があるわけです。しかしチェックする一方で、何かあれば市長のクビを取るという結果ばかりを求めている部分がありますね。

ちきりん:チェックの意味をはき違えていますよね。彼らがやっているのは「あら探しゲーム」のように見えます。

中田:マスコミの思考回路は、まず結論ありき。市長のクビを取るとか、批判するとか、欠点を探すとか。クビを取るために「何か材料はないか?」といった取材活動をしている記者がいる。

ちきりん:そうではなく、「こういう発言が問題視されたけど、実は、大臣はこういう趣旨で発言したのだ。それを一部だけ取り上げてあげつらうのはどうか」というように、むしろ誤解されている部分を明らかにするような報道をすれば、国民も「マスコミもきちんと仕事をしている」と考えるはずです。それなのに「エライ人のクビを取れば評価される」と思い込んでいる。

 なぜそんな考え方になってしまうのかというと、新聞社の記者が自分たちの世界だけで生きてきたからじゃないでしょうか。多くの記者は大学卒業後に就職した新聞社しか知りません。新聞社だけでなく、大きなテレビ局、大きな出版社で働く人たちは終身雇用制の世界で生きているので、組織内の常識にだけ縛られて、外の世界が変わりつつあることに気がつかない。だからいろいろな弊害が生まれてくるんだと思うんです。

 終身雇用組織の社内教育では、今の50代の人は60〜70代の人たちに育てられ、40代の人たちは50〜60代の人たちに育てられてきた。そうやって何十年も前の常識、伝統がそのまま受け継がれてしまっている。もちろん内部で長く受け継ぐべきモノもありますが、一方で外部の人の意見の中に、もっと強く意識すべきものも多々あるのにそういうものが全く取り入れられない。そして、狭い世界の中での後輩指導だけが脈々と続いている。

 「政治家の言動をメディアチェックする」というのは、つまりどういうことなのか。本当はその定義そのものを記者1人1人がよく考えなければいけない。政治家の言葉狩りをしたり、事務手続きの齟齬(そご)を暴くことが、本当に権力をチェックすることになるのか。自分の頭で考えなければいけないのにそういうことは全く考えない。まさに思考停止状態に陥っていますよね。

中田:だと思います。

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