技術革新のスピードが上がり、経済のグローバル化も進む中、日夜、自らの組織のために粉骨砕身するリーダーたち。彼らはどんな思いを抱き、どんなことに注目して、事業を運営しているのでしょうか。「リーダーは眠らない」では、さまざまな企業や団体のトップに登場していただき、業界の“今”を語ってもらいます。
インタビュアーは戦略経営に詳しい嶋田淑之氏。徹底した聞き取りを通して、リーダーの心の内に鋭く迫ります。
前回、市場規模が往時の4分の1に縮小する中、世界初・日本初となる独創的商品を相次いで開発し気を吐く、ジグソーパズル業界のトップ企業やのまんをご紹介したが(「4分の1に縮小したジグソーパズル市場、老舗のサバイバル戦略は?」)、市場規模が縮小し続けているという意味ではボウリング業界もまたその1つである。
1960年代に日本に本格的に入ってきたボウリングは、中山律子さんを始めとするアイドル的人気女性ボウラーたちの出現もあって、一躍、国民的人気スポーツになったものの、後が続かず急速に低迷。
スコアボードのコンピュータ化などによって一時的に持ち直したこともあったとはいえ、最盛期に3600カ所に達したボウリング場も、今では日本全国トータルで923カ所にまで減少し、現在でも年平均10カ所のペースで閉鎖が続いている。
そこで、今回はこのような厳しい経営環境のもと、業界団体である日本ボウリング場協会のトップとして、そして相模原パークレーンズの2代目経営者として、状況の好転に向けて努力を続けている中里則彦さん(53歳)に、業界低迷の要因や、そこからの脱却策についてお話をうかがった。
子どものころはプロボウラーを志し、玉川大学を卒業すると同時に、父親が経営する相模原パークレーンズに就職し、1997年に社長就任。まさに業界一筋の人生を歩んできた中里さんは、誰よりもボウリングを愛するがゆえに、その危機感も人一倍強烈だ。
「レジャー白書によると、2009年から2010年にかけての1年間だけで、日本のボウリング人口は2210万人から1780万人にまで落ち込んだんです。この勢いで減り続けたら、業界は衰亡しかねません。
ボウリング場の顧客層は、常連客を主力とする“競技ボウラー”と、レジャーとして楽しむ“一般ボウラー”に大別されます。その中でも特に一般ボウラーの減少が著しいですが、競技ボウラーも来場頻度が徐々に低下してきており事態は深刻です。
首都圏のセンター(ボウリング場)はそれでも比較的善戦していますが、長期不況の直撃を受けている地方都市のセンターは、経営的に厳しい状況に置かれているところが少なくありません」
日本のボウリング業界は、ラウンドワンがマーケットシェアの30%以上(売上ベース)を占める一方、残り70%弱を全国の中小規模のボウリング場が分け合うという構造になっている。
テレビCMなどメディアを活用しているラウンドワンは、売り上げの実に9割を一般ボウラーが占めているが、そのほかの地域密着型の中小ボウリング場では売り上げの半分以上を競技ボウラーが占めているという。
「1センター当たり100人程度の常連客がいると仮定すると、全国に約900センターありますから、日本全国の常連客は約9万人となります。つまり、日本全国に約1800万人いるボウラーの中の、たった0.5%の顧客が中小ボウリング場の売り上げの半数以上を占めているという構造になってしまっているのです。
しかも、その0.5%の常連さんたちの来場頻度も低下してきているわけですから、我々としても、こうした構造を何とか変革して、業界としてのサバイバルを図っていくことが差し迫った課題となっているのです」
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