原発を再利用したテーマパークに行ってきた松田雅央の時事日想(4/5 ページ)

» 2012年02月29日 08時01分 公開
[松田雅央,Business Media 誠]

反原発運動と時代の流れ

 カルカー原発が稼働することなく廃止となった直接の理由は政府による原発撤退の決定だが、その背景にはドイツとオランダで盛り上がった反対運動がある。カルカー市議会が原発建設に同意したのが1971年。その2年後にはオランダの「アムステルダム・反カルカー委員会」がカルカーで1万人規模のデモを遂行している。1991年に政府が廃止を決定するまで多くの反対運動が続けられ、もちろん、1986年のチェルノブイリ原発事故が決定的な契機になったことは言うまでもない。

 カルカー原発はドイツのエネルギー政策に関わる事柄であり、事業の決定権はドイツ政府にある。しかしながらカルカーはオランダとの国境に近く、ライン川がオランダに流れてゆく関係上、同時に国をまたぐ国際的事案となった。

 日本の原発も事故が起これば海外に影響を及ぼすという意味で国際的な管理責任を負っているが、陸続きの場合は影響がより直接的だから、もはや一国の事案として扱うことは許されない。ドイツのエネルギー政策でありながら、オランダの反原発団体がカルカーでデモを行ったのはそのためだ。

 35億ユーロ(3768億円)もの巨費をつぎ込み建設された原発が結局不要のものとなり、払い下げ価格はわずか0.1%。天文学的な規模のブラックジョークにしか思えないが、脱原発プロセスの痛みということだろうか。

原子炉建屋の壁。工事のため一部取り壊された外壁が、見学用にそのまま残されている。壁の分厚さが印象的。頑丈な構造のため、解体するにも莫大な費用がかかる(左)、元コントロール室は会議場に。原発の制御盤を背にして会議を行うのは、ちょっと不思議な気分ではないだろうか(右)

消防施設を改造したレストラン(左)、ホテル・レストラン・会議室。原子炉建屋に隣接する事務所棟と消防施設は会議場・レストラン・ホテルに改造された。原子炉建屋は現在使用されていない。煙突は夜になるとライトアップされる(右)

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