原発を再利用したテーマパークに行ってきた松田雅央の時事日想(3/5 ページ)

» 2012年02月29日 08時01分 公開
[松田雅央,Business Media 誠]

 原子炉建屋に隣接する事務所棟と消防施設のあった建物は会議場・レストラン・ホテルになっている。建物内は大きく作り変えられ原発を連想させる設備は少ないが、例えば事務所棟の鋼鉄製の厚い扉にその名残がある。また元コントロール室は会議場となり、パネルなどはそのまま残されている。1960年代に基本設計されたカルカー原発のコントロール室は現在の原発に比べて非常に大きい。また計器類もすべてアナログだ。

 カルカー原発の取り扱いに関する議論が始まったのは、廃止が決まった1991年以降のこと。始めは石炭火力発電所やガス火力発電所への作り替えも検討されたが、出資者が現れず実現しなかった。かといって解体するにも7500万ユーロ(80億7500万円)の巨額費用が見込まれた。そこで手を挙げたのがハイネ・ファン・デア・モスト氏だった。

 カルカー原発の売却は敷地・建造物・設備すべてがセットになっている。売却時の約束として「家族で楽しめるテーマパークにする」「地元に雇用を生み出す」「最終的に1000ベット規模のホテルを営業する」などの取り決めはされたが、「設備をどうするか」「建物をどう改造するか」は購入側の自由意志に任されてきた。内部の機器は解体・売却され、その収益はブンダーラント・カルカーが得ている。詳細は明らかにされていないものの、機器の売却益で原発購入費(約400万ユーロ=4億3000万円)は埋め合わせできたようだ。

 しかし、本当に資金を必要としたのはその後の改修である。事務所棟をホテルに改造し、アミューズメントパークを造り、スポーツ施設なども建設していかなければならない。これまでにおよそ5000万ユーロ(53億8000万円)が投資されてきた。

 なお、原発といえば最新技術と機密の固まりに思えるが、売却に際して施設情報の制限はなかったのだろうか。極端な話、原発の図面がテロリストの手に渡ることも考えられる。その点を施設長グロート・オブリング氏にうかがったところ、「そういった制限は聞いていませんし、特別な秘密もありません。施設を購入した時点で、すでに世代遅れの設計・設備になっていましたから、ここから原発の最新情報を探り出すことはできないでしょう」

原子炉建屋と蒸気タービン(左)、ホテルの一角に残された元事務所棟の鋼鉄扉(右)

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