はてなダイアリーの片隅でさまざまな話題をちょっと違った視点から扱う匿名ブロガー“ちきりん”さん。政治や経済から、社会、芸能まで鋭い分析眼で読み解く“ちきりんワールド”をご堪能ください。
※本記事は、「Chikirinの日記」において、2005年11月23日に掲載されたエントリーを再構成したコラムです。
ちきりんは「うつろう」「うつろい」という概念が好きです。辞書では意味として「移り変わること」と書いてあり、例として「心のうつろい」「季節のうつろい」が挙げられています。
「変わる」と「うつろう」はどう違うのでしょう?
心や季節は信号とは違います。信号は赤から緑にうつろったりしません。「変わる」だけです。一方、心や季節は「変わる」こともありますが、「うつろう」こともあります。その違いは……、
また……、
よく言われることですが、私たちが桜や紅葉を愛でるのは、それらが恒常的に存在しないからです。最近の懐古ブームも同じで、昭和30年代の情景は今はもうなくなってしまっているからこそ、多くの人がそれを懐かしく感じ、癒やされるのです。
そういった、季節や時代など、消えてしまったものへの肯定的な思いを表すのに便利な言葉が「うつろう」です。
さらに極端なことを言えば、「変わらないものは美しくない」とも言えます。
例えば、汚れたり割れたりしながら、ゴミとしていつまでも残るプラスチックは、美しいとは言い難いでしょう。同じように「変わらぬ愛」も、プラスチック的です。芽生えて、盛り上がって、冷め、そして消えていく。だからこそ人の気持ちは美しいのです。
そうとなれば、「変わらぬ愛」という言葉は矛盾を含んでいるだけでなく、美しくないともとらえられます。人が「一生あなたを愛している」と言われて感動するのは、それがありえないからでしょう。
「ありえないかもしれないけれど、今の自分はあえてそう明言したい」という気持ちを、私たちは美しいと感じるのであって、「一生愛してる」と言ったが最後、必ずそうなる「ロボット的な世界」が存在するならば、愛なんて特別なものにも美しいものにもなりえません。変わらないものには、一種の嘘くささが付きまとうのです。
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