「オリジナルな自分になりたかった」――エジプトでの貧困層支援のやりがいとは世界一周サムライバックパッカープロジェクト(1/4 ページ)

» 2012年03月13日 08時00分 公開
[太田英基,世界一周サムライバックパッカープロジェクト]
世界一周サムライバックパッカープロジェクト

太田英基(おおた・ひでき)

世界一周中のバックパッカー。2月23日現在、タイ滞在中。1年半で40カ国以上の訪問を予定。若者の外向き志向の底上げのため、海外で働く日本人を訪問したり、旅の中で気付いたことや発見したことをWeb中心に情報発信しながら旅をしている(サムライバックパッカープロジェクト)。学生時代に広告サービス「タダコピ」を立ち上げた元起業家でもあり、根っからの企画屋。Twitterアカウント「@mohideki」では旅の様子をリアルタイムに発信している。

 →目指せ世界一周!「サムライバックパッカープロジェクト」とは?


 2011年1月に起こったエジプト革命。大規模な反政府デモとそれに付随する事件の結果、長らく政権の座に就いていたムバーラク大統領が辞任するに至りました。

 2011年4月、そんな革命後のエジプトに僕は渡りました。「ある程度、落ち着きを取り戻している」と、現地に詳しい人から情報をもらっていたものの、不安なことは間違いない。到着した初日の夜には、深夜に銃声音が鳴り響きました。

 僕の泊まっていた宿は革命の中心地、タハリール広場から徒歩10分ほどの場所。いまだにデモを行うエジプト人たちと、それに反対をするエジプト人たち。当たり前のことですが、そこには色んな意見を持ったエジプト人たちがいました。

 そんなエジプトで、内海貴啓さんという僕と同年代の日本人を紹介していただきました。内海さんはカイロ市内の待ち合わせ場所にスーツ姿で現れ、「おすすめのお店がある」と言って、失礼ながら決してきれいとは呼べない路地裏の現地人が集うエジプト料理屋さんに案内してくれるなど、「しっかりと現地に根付こうとしている人なんだなあ」という第一印象を抱きました。

内海貴啓さん

対エジプトODAの調整業務を担当

――自己紹介とこれまでの歩みについて教えてください。

内海 1985年生まれで、兵庫県宝塚市育ち。子どものころから家で外国人のホームステイを受け入れていたり、海外へのホームステイプログラムに参加したりしていたので、異文化は肌で感じていました。

 小さいころから、人と違った選択肢を選ぶ傾向にあったのですが、「もっとオリジナルな自分になりたい」と考えて、高校1年生の時、米国に1年間交換留学。大学ではさらに自分の視野を拡げるべく、世界各国からの学生と議論する国際学生会議の運営に没頭。その後は国内大学院で平和構築を専攻し、卒業後、在エジプト日本国大使館で国際協力に従事することになり、現在に至ります。

――現在の活動内容や仕事内容について詳しく教えてください。

内海 現在は日本の出先機関である在エジプト日本国大使館で、対エジプトODA(政府開発援助)の一部である草の根・人間の安全保障無償資金協力の調整業務を担当しています。難しく聞こえますが、エジプトで活動しているローカル・国際NGO(非政府組織)を通じて、貧困層のニーズに合致した支援プロジェクトの調整を行っています。

 例えば、農村部の公立学校で机が足りず、児童が床に座らざるを得ない状況を改善するために学校にいすを供与したり、無医村の村落に移動式で診療できる医療車両を供与したり、不衛生な水により病気がまん延している農村部に浄化施設を建設したりと、人間の生活に影響を与える問題を改善するための多岐にわたる支援を行っています。

 プロジェクトの形成に当たって、カウンターパートであるNGOとのたび重なる協議はもちろん、現場視察に行って村人に聞き取り調査をするのですが、「どういった支援が本当に求められていて、いかなるアプローチが効果的で、多くの人を対象にできるのか」に着目して調べます。

 このような調査をもとに、日本人の代表として現場に行き、日本の税金からなるODA予算を最大限有効に生かせるよう、現地のニーズに対応させながら調整することは非常にやりがいのある仕事です。

 2011年1月25日にはエジプトでもアラブの春が起こり、情勢は一変しました。仕事がなく、結婚の条件である家と収入が確保できない若者の行き場のない不満がカイロの中心・タハリール広場で1つにまとまり、ムバラク政権を打倒する事態となり、エジプトの高い失業率への改善策が急務になりました。

 そこで、今年は失業者を対象に、仕事を得るために必要なスキルを身に付けられる、職業訓練などの人材育成事業を多く実施しようとしています。

 とりわけ、草の根無償はほかのODAの援助スキームの中で、直接現地の人々と触れ合いながら援助を実施する「顔の見える援助」で、最も現地の人のニーズに素早く応えられる「足の速い支援」でもあるので、その側面をできるだけ生かして迅速に喫緊の課題に対応する援助を形作ろうと奮闘しています。

 このように援助を仕事にしているのですが、私は援助の仕事を天職だと思っています。それは長い時間かけて作り上げた自分の案件が見事完成して陽の目を見て、現地の人みんなから「ありがとう!」と言われると、たまらなくうれしくなるからです。目の前の人のお手伝いができる、その実感があるから援助の仕事はやめられないですね。

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