「オリジナルな自分になりたかった」――エジプトでの貧困層支援のやりがいとは世界一周サムライバックパッカープロジェクト(3/4 ページ)

» 2012年03月13日 08時00分 公開
[太田英基,世界一周サムライバックパッカープロジェクト]
世界一周サムライバックパッカープロジェクト

アラブの春で情勢が変化した

――言語の壁以外に、エジプトにきてから立ちはだかった困難はありますか?

内海 一番印象的なのは、予想外の情勢の変化でしょうか。エジプトでは2011年1月25日から革命が起こり、それ以前の穏やかな情勢とは一変して、治安が悪化しました。

 革命が始まった当時は、圧倒的な数の市民が街に繰り出し、市民対政府(警察)という図式で激しく衝突が起こりました。警察署が焼かれ、治安を維持するはずの警察が逃げざるをえない事態になり、無法者や脱獄囚が小売店や民家に火事場泥棒の具合で襲撃する事件が相次ぎ、自分たちの身は自分たちで守らなければならない危険な状況になりました。

 そんな非常事態では通常業務はもちろんできず、何が起こるか予想不可能な状態で、しばらくは職場の床で寝袋を敷いて寝る缶詰生活をしていました。そうした状況なので外には自由に出られず、テレビを見て情勢を見守るほかなかったです。安全な場所に極力いたとはいえ、銃声が鳴り響く時もあり、かなり不安でしたが、幸い身の危険はありませんでした。

 結局、情勢の悪化を懸念して、革命開始から1週間経ったころ、日本に一時退避しましたが、安全だと思われていたエジプトで、そうした不測の事態が起こったのは今でも驚きです。油断は禁物ですね。不測の事態は常に起こりうることを頭の片隅に置いて、次にそういう事態になった時はもっとうまく対応したいですね。

――今後の予定や将来の夢(目標)について教えてください。

内海 開発援助、平和構築を仕事にやっていきたいと思って、この分野に飛び込んでいるので、このままの方向で進んでいきたいです。

 特に紛争や政変のある国で援助をどのように、またどういう立場で行っていくことが自分に合っているか考える上で、日本政府の支援の現場部隊として、調整業務に携わった現職の経験とは違ったところで今後も開発援助に携わっていきたいと考えています。

 目の前の人に手を差し伸べられる距離感で仕事をしたいのか、それより多くの人を助ける政策的な仕事をしていきたいのか、これからいろんな場所で経験を積みながら考えていきたいです。今後も大いに海外を舞台にしていくことになるでしょう。

――最後に、日本の若者にメッセージをお願いします。

内海 私の場合、海外志向が始まったのは「自分を変えたい」という衝動、「もっとオリジナルになりたい」という気持ちからだったと思います。

 自分を磨くのに、一番手っ取り早い方法がサバイバルをすることでした。海外に行けば、英語ができるできない関係なく、異文化の中でサバイバルすることになります。新しいものや知識や文化だけでなく、面白い人たちと出会うことで、そのサバイバルが自分に気付きを与えてくれるのだと思います。

 新しい自分を見つける場、その1つが海外ではないでしょうか。“いつか”“そのうち”ではなく、思い立ったら飛び込んでみましょう。

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