なぜ原発の安全神話は生まれたのか民間事故調シンポジウム(2/3 ページ)

» 2012年06月19日 08時01分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]

最終的に守らないといけないのは人の命

鈴木 原発の安全性を考える上で、ディフェンス・イン・デプス(深層防護)という言葉があります。これは民間事故調の報告書にも詳細が書いてありますが、第1層は異常が起こらないようにするための措置です。第2層はもし何か異常があってもそれが事故に拡大するのを阻止する、例えば地震が起こったら、制御棒を入れて緊急停止させるということです。第3層はもしそれでもうまくいかなかったら、安全に原発を停止し、放射性物質を閉じ込める機能を維持するというものです。

深層防護の概念

 日本はこの第3層までを非常に一生懸命にやってきました。福島第一原発の事故原因が地震なのか、津波なのか、そのほかなのかについてはいろんな調査が必要で、民間事故調では詳細に分析できませんでしたが、これまで起こってきたさまざまな地震時や、東日本大震災時の福島第二原発、女川原発などを見ると、この第3層まで頑張ってきたことはある程度認められますし、ハードウエアの部分では可能な限りの安全性の向上が図られてきただろうとは言えると思います。

 ところが足りないのは、第4層のシビアアクシデント対策と第5層の防災対策です。第4層のシビアアクシデント対策というのは、閉じ込めるのが難しくなってきた時にベントを行うといったように、最悪の事態、要するにメルトダウンを避けるための努力です。それでも原発サイトの外に放射性物質が流れ出てしまうと、第5層の防災対策をやらないといけないわけです。

 最終的に守らないといけないのは人の命であって、その人の命を守るためには第1層から第5層までやっていくというのが、世界の原発の安全規制についての考え方です。ところが日本の場合、それは第3層まででした。そのために私が“ゼロリスクトラップ”と呼んでいるメンタリティが働いたんだろうと考えています。

 これまで「原子力は安全であるから受け入れる」としてきたわけですが、実は原子力はゼロリスクではなく、万が一事故が起こるかもしれないということを考えながら、本来はリスク管理を行わなければいけないわけです。事故にならないようにするための深層防護の第1層から第3層までの努力は必要ですが、事故は起こりえます。

 この事故が起こった場合にどうするかというのがリスクマネジメントです。しかし、「原発は安全である。安全というのは事故が起こらないことである」と考えてしまうと、ゼロリスクを求めるある種の心理、社会的な要請というものが生まれてきます。「もし事故が起こるかもしれないという可能性があるんだったら原発はいらない」ということです。

 これは例えばBSE問題など諸々のリスクに関わることで、日本の場合、よく見られることです。仮に何かがあるのであればその可能性を排除するためにそういうことは一切やらない、「最も安全な原発は脱原発」というのは菅直人元首相のお話でしたが、そういう認識が強く出てしまいます。

 推進側が「燃料棒は圧力容器や格納容器で何重にも防護されているので大丈夫です」と説明する時、「あっこれで事故は起こらないんだ」と読みかえてしまう、そういうリスク認識のずれというのがこのゼロリスクトラップと言えると思います。

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