同じ間違い方をする人はいらない!? 原発の規制機関には何が必要か(3/3 ページ)

» 2012年06月22日 11時00分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]
前のページへ 1|2|3       

専門知を社会に還元する仕組みを

山田 先ほど鈴木先生は、米国では軍の系統の原子力の専門家と原子力規制委員会という2つの系統があるから癒着が比較的ないんだと指摘されました。もちろんいろいろ問題はあるのでしょうが。

 ただ大きな枠組みで言うと、そういう2つの系統のものが相互にチェックして割と健全な体制を保っているんだという指摘だと思うのですが、日本の場合、核武装国ではないので軍の原子力の専門家はいないわけです。

 新しく今、原子力規制庁を議論するのであれば原子力規制庁の実働部隊の中に、政治からも産業界からも電力会社からも自立した技術者集団のお目付け役が形成されていくというような実態ができなくてはいけないと思います。どうしたらそういう健全なチェック集団が形成できるのでしょうか。

鈴木 これまた非常に難しい問題です。先ほどの松本先生のスイスチーズモデルというのは非常に重要で、ひと言で言うと「多様性をいかに確保するか」ということだと思うんです。しかし、日本の原子力業界というのは人数も少なければ、コミュニティとしても小さいところがあるので、国際的に開かれた原子力規制みたいなものはあってもいいかなとは思っています。

 外国人に規制をしてもらうというのは変な話なのですが、ピア・レビュー(相互審査)という形で日本がやっていることに対して、いろんな価値観を持っているほかの国の専門家がチェックするとか、お互いにチェックし合うような関係というのはグローバルなガバナンスの仕組みを作っていく上でも意味のあることだろうと思います。それが相対的に原子力安全のレベルを挙げていくことにつながるのであれば、私は積極的にやるべきだろうと思います。

山田 これは安全神話とは直接関係ないのですが、ドイツが原発政策を決めていく上で倫理委員会というものを作りましたよね。国の進路を、政権が哲学者に相談して決めていく。これはドイツが特殊なのでしょうか、それとも学ぶべき内容があるのでしょうか。

松本 日本だと、政治家や別のセクターの方が大学で教鞭をとられることはあって、それはそれで流動性が高くていいことなのですが、逆は少ないということを強く感じます。

 ドイツも含めた海外では、古くは(経済学者の)ケインズからそうですが、学者が政策立案、評価、実行のプロセスに関与していくことがごく普通にあるんですね。それはそんなに大層なことであるとは思わない方が良くて、ある人の持っている専門知をきちんと社会に還元するための仕組みがまだ十分確立していない。その結果として、科学的助言といいますか、国策に都合のいい助言だけが取り上げられて、そうでないものはあたかもないように提起されていくということがもしあるとすると、具合が悪いと思うんですね。そういう人をうまく使いこなせるような制度再設計をしていくことが、これから大事ではないでしょうか。

鈴木 原子力ムラのことを考える時に重要になるのは、知が持っている権力だと思います。つまり技術的な専門知識というのが、ある種、他を寄せ付けない権力的な障壁になっている。つまり、「お前は原子力のことも分からないくせに言うな」ということを言えてしまう環境がこれまであったと思うんですね。

 ドイツの倫理委員会というのは原子力の専門家ではない人たちが集まって、「原子力の知の権力」と「原子力の専門知を持たない人たちの権力」を政治的にバランスさせたところが重要なポイントだと思います。これは専門家の政策決定における役割、そしてその知が持っている権力の問題ということになるだろうと思いますし、日本はそういったことに対する制度的な手当てがほとんどなされてこなかったことが原子力ムラや安全神話を導いたんだろうと思います。

前のページへ 1|2|3       

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.