「5年後のあなたはどうなっていたいですか?」
「5年後のキャリア目標とその実行プランを立ててみましょう」
キャリア研修でよく行われるこの手の質問やワークは、有意義ではありますが、使い方によってはまったく意味のないものになります。
確かにキャリア形成は、計画を立て、その通りに進めていくのが大事であるという面があります。しかし、キャリア形成は人生という旅の一部であり、旅には不測の出来事や想定外の道に外れることが往々にして起こるようにそう易々と計画し得る営みではありません。
計画し得ないからこそ、人生は奥深いし、面白い。人生から偶発による“ゆらぎ”の作用をなくしたら、それは初速度と打ち出し角度の数値さえ与えれば、計算によって着地点が決まる物理運動になり落ちてしまいます。
私は、キャリア作りはJAZZ音楽に似ていると思っています。JAZZ演奏は、即興性を基とするがゆえに、一瞬先の空白の未来に向かって、一音一音、演奏者が全身全霊を込めて仕掛ける、その連続により曲が成立します。JAZZの名演奏というのは、その日の演奏メンバーの調子と聴衆のノリが見事に反応し合った場合に“結果的”に生じます。JAZZにおいては楽譜通りに演奏しても何も面白くないのです。
個々のキャリア形成も同じです。そこには「意図的に作りにいくキャリア」と「結果的にできてしまうキャリア」の両方の面があります。
もちろん子どものころに「宇宙飛行士になりたい」とか「医者になりたい」とか、具体的に夢や目標を立てて、着実にその進路上で駒を進めていく人たちはいます。
しかし、同時に「当初Aの山を目指していたが、登っているうちにBの山になっていた。Bの山もまんざらではないよ。でも、もしかしたらこの先、また別の山が見えてくるかもしれない」という人もいます。むしろ、こちらのほうが世の中では多数でしょう。
Bという満足のいくキャリアの山を登り当てた人にとって、過去にいくら自己分析をして、キャリアのプランシートを書かされたとしても、B山の「ビ」の字も出るはずがなかったでしょう。B山というキャリアは、意図的に作りにいったものではなく、むしろ結果的にそうなってしまったものだからです。
だから今、キャリアデザイン研修なるものでやられている自己分析やキャリアプランシート作成が、分析のための分析ワーク、プランのためのプランワークであるならば、それは意味がないと思うのです。
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