なぜ日本政府は外交下手になったのか藤田正美の時事日想(1/2 ページ)

» 2012年08月20日 07時59分 公開
[藤田正美,Business Media 誠]

著者プロフィール:藤田正美

「ニューズウィーク日本版」元編集長。東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年に同誌編集長、2001年〜2004年3月に同誌編集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”


 やっぱり「平和ボケ」国家というべきだろうか。戦後日本の奇跡の復興、そして長い繁栄と平和、いったいこれは何によってもたらされたのか。良くも悪くも、この繁栄の礎は日米同盟である。米国が日本を守る(別の言い方をすれば、日本に再軍備をさせることなく共産主義を封じ込める)という条件の下で、日本は経済力の復興に全力を注ぎ込むことができた。あえて言えば、平和を獲得する努力をせずに、平和の恩恵を享受してきた。

 もちろん米国は自分たちの国益のために日本に駐留しているのだが、基地を提供するなどのコストを差し引いても、日本全体から見ればプラス面が大きかった。それは瞬間的であれ何であれ、日本の1人当たりGDP(国内総生産)が米国を抜き、世界で第2位になったことからも明らかである。

 しかし利益があった反面、失ったものもある。その一つは外交の力だ。米国に寄りかかるように展開してきた外交は、米ソ冷戦時代でこそ通用した。ソ連を「仮想敵国」とし、日本はいわばその最前線という状況の中では、ほかの選択肢はなかなか考えにくかったからである。そして1991年ソ連が崩壊する。世界を分断していたイデオロギーが消え、米ソ冷戦が終焉した。日本外交が漂流する原点はそこにある。

 米ソ冷戦に代わる外交の軸、いわば「戦略目標」が見いだせなかったために、ともすれば二国間の問題に焦点が当たりがちになる。例えば日中間で言えば、尖閣諸島や靖国参拝問題だ。日韓間で言えば、竹島や従軍慰安婦問題である。しかしもっと大局的に見れば、いったんは米国が唯一の超大国になっても、やがて中国の経済力が大きくなって、日本を抜くことは目に見えていた。つまりはアジアのパワーバランスが大きく変化するということである。

 その中で日本がどのように自国の利益を守り、発言力を維持していくのかが、重大な問題になるはずである。中国が発展するのを阻止することはできないし、阻止することが日本の利益でもない。その中でも日本の地位をどのように維持するのかということだが、日本政府がその準備をしてきたようには見えない。

 唯一それらしきことを打ち出したのは麻生外務大臣だったのかもしれない。「自由と繁栄の弧」と称して民主主義を軸にユーラシア大陸を取り巻くような諸国に働きかけていこうというのである。麻生外相はこの「自由と繁栄の弧」は従来の外交努力の延長線上にあるもので、別に新機軸でも何でもないと語っている。

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